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生い立ち

少年時代は泣き虫で甘えん坊の子でした。お兄ちゃんとよく遊びマセたガキでした。親は自営で仕事をしていましたが、喧嘩が耐えない家庭でした。物心ついたころから夫婦喧嘩の後、母親が朝起きると家にいなかったことをよく覚えています。そんな寂しい思いをしていたのを思い出します。母親としては、かわいい子につらい思いをさしてはいけないと言う思いがあったのでしょうか?欲しい物は買い与え甘やかされた様に思います。私もわがままな子に育っていったのかもしれません。学生時代までは家庭が自営業だったのでお金はあると思い好き放題やって来たように思います。中学生時代から非行に走り、校内暴力やイジメなどを繰り返し親に迷惑をたびたび掛けた親不孝物でした。高校進学もどうにかできましたが、不良少年でしたので直ぐキンシン処分になったり・・・好きな子が出来そのまま同棲が始まりました。学校はと言いますと、入学して半年でやめました。直ぐ仕事につき親戚の自動車会社で働く事になりました。同棲生活から1年が経ちお互いの将来の事を考え同棲生活にピリオドをつけお互い実家に帰り1年後結婚を約束し結婚資金を貯める為にも一生懸命仕事を頑張りました。しかし彼女は私より2歳も年上で車の免許、私は原チャリの生活この時期からお互いの歯車が喰い違って来ました。結局彼女の気持ちは私から離れて行きました。同棲生活を止め彼女はゆっくり自分の事を考え、好きな事も出来る時間ができ、私に対する思いも変わって行ったのだと思います。別れを告げられた時は何もする気が起きなく、人生の終わりぐらいの気持ちでした。それから仕事を転々とし、昔の不良仲間と遊ぶ様になりました。中型バイクの免許を取得し、連れとバイクを乗り回し好き放題の事をやってつらい思いを吹き飛ばそうとしていました。毎晩の様に飲みに行き、喧嘩で警察にお世話になり保護観察の身分。一時は極道になろうと思った時期もありました。19歳の頃飲みに行った先で一人の女性と知り合い(既婚女性)そのまま深い中になってしまいました。彼女との同棲生活がはじまり仕事はお互い水商売をして生活しました。しかし彼女には子供もいて二人の関係は長続きしませんでした。それから1年後、成人式で私にとって大きな転機が訪れました。そこで中学時代に付き合いのあった女性と話が合い私の方から「また付き合おうか!」とプロポーズしました。ちょうどその頃は彼女も付き合っている彼がいないので、すんなりOKをもらいました。付き合ってから1年も経っていないでしょうか?結婚を意識し始めました。しかし彼女の親は昔から私の事は知っていましたので、当然賛成する事などありません。あそこのドラ息子が・・・第一印象でしょうから反対するのも親としては無理はないでしょう。それから駆け落ち同然で親の反対を押し切り一緒に暮らす事になりました。(当然私の親は反対はしてませんが・・・またかと思っていたと思います 笑)結婚を決意し当時していた教材販売の営業の仕事を止め現在の仕事に就く事になりました。学歴が無かったものの当時はバブル崩壊前とあって直ぐこんな私でも雇ってもらう事ができました。(非常に感謝です)親に反対され見下されていた為、「今に見てろよ」と言う気持ちの中、無我夢中で仕事に励みました。後を見ず前だけを見続け頑張った様に思います。自分がそれなりに努力すればどうにか自分の思う様になる事を初めて実感出来たのもこの頃からでしょうか。私には借金もかなりあり毎月の返済も10数万円あり返済も何とかしながら生活していました。彼女の協力も当然ありました。それから3年が経ち入籍はしたものの結婚式を挙げていなかった二人ですから思いは式を挙げる事でした。少しお金にも余裕が出来念願の結婚式をハワイで行う事が出来ました。しかし一方では大変な事が待ち受けていました。実家の問題がこの頃からひどくなっていたのです。実家は自営業ですが経営もうまくいかず自転車操業が続いていました。母親は金のくめんで大変な思いを毎日していました。一方父はと言いますと今の仕事をこなして行くだけで金銭的な事はすべて母親に任していたと思います。お金がどうしても必要な為、私の所のも何度と無くお金を借りに来た事もありました。ここから私の人生の転機がまた訪れたと思います。学生時代は親の脛をかじりわがままのやり放題だったのが、に親が私に助けを求めて来たのです。私が仕事中「プルルルウー」 会社へ一本の電話が、母親からでした「今借金取りが来ているの何とか助けて・・・」との電話でした。私は仕事中でしたので仕事が終わったら直ぐに行くとつたえました。急いで実家に向かうと、借金取りがなぜか私を待っていました。「母親が払えんのなら子供が肩代わりをしろ」と私に言ったのです。借金については少しだけ法を自分なりに学んでいた事もあり、あまり動揺はしませんでした。逆に相手の借金取りに喧嘩を売るしまつでした。それがきっかけで今実家にどれだけの借金があるのかが見えてきました。実際問題払えるだけの能力があるとは思いませんでした。どうして借金返済しようか私事では無いのですが、親は親なんとかして助けねばと言う気持ちで一杯でした。ある程度裁判等で借金の話もついた頃毎週会社が休みの週末実家の仕事を、手伝っていました。父は「日当をだすから手伝ってくれ」と言い私に仕事を手伝ってもらうきでしたが、借金まみれの状態でお金などもらう気はまったくありませんでした。
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