10月30日

昨日のいも煮会で、なにか 刺す虫がいたのは知っていたが、まさか自分まで刺されたとは

今朝 出勤前にストッキングをはくまで 気づかなかった。

赤いポチッとしたムシササレ。 しだいに痒くなる。

でもまぁいたたまれないほどの痒みではない。

ふと頭をよぎる  「ツツガムシ病」

ツツガムシがなにか知らない人のために。。。。

ツツガムシ病は山形・秋田・新潟などで夏場に感染する 風土病です。

河川敷の草むらなんかに、目に見えるか見えないほどのちっこい虫いて、それが人間の皮膚のや〜らかい部分を

刺すわけですな( ´_ゝ`)

そーしますと、5-14日の潜伏期ののち、高熱を発して ほっておくと死に至るというこわ〜い病気。

「つつがなくとりおこなわれました」とかいう時使う「つつがなく」の語源は、昔 旅に出る人に対して

「ツツガムシに刺されないで無事旅をしてください」という意味から来てるという話は、知ってる人は知っている

知らない人はまるで知らない話で、

いまでもニュースでたまに「ツツガムシに刺されて病院に」って報道される時があったりする。




げ・・・・この刺し跡  もしやツツガムシ?( ̄Д ̄;;

・・・・じゃないよね??ね?(;^_^A

10月29日

ライヴ仲間との馬見ヶ崎川河川敷でのいも煮会

朝から晴天に恵まれ 山形県民でありながら いも煮会の経験がないという息子を同行しての参加。

「馬見ヶ崎川のプールの付近でやってます」という 実にアバウトな情報を頼りに、行ってみると

あ〜いたいた。なんでわかったかっていうと、河川敷にさりげなくセッティングされた マイク&機材。





いも煮会場ににわかライヴ会場作ってる人たちなんてそうそうはいまい。。。

わたしが到着した頃にはもういも煮はできあがっていてもう食べるばかり。





そうです、いも煮会の時に本領発揮するのは 男性陣だったりするのだ。

ちゃっちゃと 手際よく 大鍋ひとつのいもこ汁を完成させていたのであります。

これがまた うまいっ!!!

柔らかな里芋 こくのある牛肉 味のしみたこんにゃくごぼう、しめじ そしてなくてはならない 長ネギ

やっぱり家でちんまり作るより、野外でわやわや いいながら火をおこして作るのが最高ね。

ちなみに火おこしの枯れ木や杉のはっぱは、今朝エブリー細矢さんが近所の神社で拾ってきたそーで

まったくもってスナフキンのような人です(笑)

で、最初は恥ずかしがっていた野外ライブだけど だんだん良くなる法華の太鼓で(なんだよ、それ)

歌ってるうちに羞恥心がふっとんでいきます。

わたしも心地よく歌わせていただきました〜 もちろん、ユニットyopikariとしても3曲ほど☆☆






息子は友達のお子くんたちともうち解け、ゲームの話やら キャッチボールで楽しかったらしい。


いいな〜いも煮会♪

野外でやったのは10何年ぶりかも。

また来年もやりましょね〜



10月29日

昨日 車の後部座席に寝ころんでいた息子

「世界三大珍味ってさ〜フォアグラ・キャビア・トリュフ だよねぇ?」

「そだよ」

「日本三大珍味は、フカヒレ・寿司・きりたんぽ だよねぇ?」


・・・・・う・・・ 違うと思う・・・・・


10月28日
昨日は、昔チャットやっていた頃に知り合ったネット友達とのオフ会のため、上京。

「お江戸オフ エピソードT思いがけない遭遇」


「お江戸オフ エピソードU わたしはダリでしょう」


「お江戸オフ エピソードV 本番」



10月25日

最近、息子のランドセルをあけるのが怖いような 楽しみなよーな(笑)

こんなプリントがでてきて、一瞬目の前がクラクラした。

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社会テスト ( )の中に言葉をいれましょう

  注 (  )内は息子の答え

@ 1575年、長篠の戦いでは、(信長)は、武田軍と戦い、3000丁の(ライトセーバー)を使いました。

A 信長は、将軍の(グリーバス)氏を京都から追放し (ルークスカイウォーカー)をほろぼしました

B 信長は全国統一のとちゅう、京都の(レストラン)で家来の(クッパ大王)におそわれて戦死しました

C キリスト教は、1543年、(デス・スター)の   宣教師(ダーク・シディアス)が日本に伝えました

D (チューバッカ)は信長に仕えて有力な武将になり、  朝廷から(いろいろ)に任ぜられました。

E 秀吉の時代 (シス) (ジェダイ) (ジェダイマスター) という身分が 区別され、住む場所も制限されました。

F 秀吉の野心は、海外にむけられ、(ちきゅう)を征服しようと二度にわたって(デス・スター)に 攻め込みました。

G (ダースモール)は秀吉の全国統一に協力しましたが、秀吉の死後 多くの大名を味方につけ、(クローン)の戦いで
  勝利し、全国支配を確かなものにしました。

H 幕府や藩は百姓に(おにぎり)を作らせ収穫の半分にもなる重い(たわら)を納めさせました。


「これって・・・マジでこんな答え書いて出したの・・・?」

「いや、プリント余ったのをもらって書いただけ」

(;^_^A ちょっと安心・・・・

でも、なんかビミョーにつじつまあってるから、笑ってしまいました。

そーかー信長は京都のレストランで暗殺されたのね〜 クッパ大王に( ̄▽ ̄;;


10月22日
青くりちゃんのネット友さんたちが全国各地から 我が町に集結とのことで、

わたしまでもご相伴にあずかりまして、お食事会から喫茶おおもりでのryoちゃんライヴ、そして怒濤の

カラオケボックスまで、おつきあいさせていただきました〜

ryoちゃん、木瓜茄子さん、おやじさん、ふにゃさん ペンさん、ポロンさん

みんな前々から青くりちゃんの話題にのぼってたり ミクシィつながりでコメントつけたりつけてもらったりで

初対面なのに、もうずーーーっと前からの友達みたいな 感覚。しょっぱなからなごんでしまった(笑)

「おおもり」でのryoちゃんライヴ

多忙な中、練習もままならない状況で歌ってくれたryoちゃんに感謝です☆

これまた初対面のくどちゃんが、事前打ち合わせもなしにryoちゃんのサポートをつとめてくれることになって、

このふたりのまったく違った個性は、音楽という 魔法の仕業で ステキに融合し聴いている人たちを 魅了する。

エンターテイメントって言葉がふと浮かんでくるライヴ。

これはきっとryoちゃんの生きざま 生きてきた軌跡 なんだろうなぁ・・・・

最後にみんなで歌った「夢の彼方へ」

青ちゃんの思いがこもった曲で、それを遠い場所で ryoちゃんが大切に歌ってくれている

青ちゃんの気持ちが伝わってきたよ。


いつも思うことなんだけど、人を結ぶ「縁」ってものは 不思議だよね。

花の種と同じように、ひとつの縁からこぼれた種はあっちこっちに飛んでいって、また新しい縁を結ぶ。

青くりちゃんが結んだ縁を わたしはおすそわけ してもらった。

長年のネット友であるrikaちゃんがいつも言っている「出会いは必然」って言葉。

すべての出会いは偶然なんかじゃなく、必然なんだ。

こうやって知り合ったのは、きっと知り合う縁があったからだよね。

こうやって咲いた縁は、大切にしていきたいな。

それから、木瓜茄子さんの最愛の「師匠」






も〜わたしは一目見て惚れてしまいました(笑)

ぜひぜひ、師匠の愛人にしてほしい!!

あ、それから青くりちゃん

師匠が甚平じゃ寒そうなので、綿入れはんてん 作ってさしあげるように( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ー ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)ノ

みなさーん、またいらしてね〜〜〜





10月18日

今日 青くりちゃんちに行くと ミクシィつながりの茄子さんから贈り物の箱が届いていた。

中には 酒やら 酒やら 和タオルやら 酒やら(酒しか目にはいってない)が入ってて

なななんとわたしにもおすそ分けとのこと!

青ちゃんが「好きなの選んで〜」と言うが早いかもう「デンキブラン」を手にとっていたわたしです。

「デンキブラン」



わたしのあこがれのお酒だった。

なにかのラジオ番組でこのデンキブランのいわれを聞いてから、そのいわれは忘れてしまっても

「デンキブラン」というインパクトのあるネーミングだけが、わたしの中にインプットされていた。


神谷バーとは、浅草に明治から営業している バーで、「デンキブラン」とは神谷バーの名物カクテル。

120年間もの間 みんなに愛され続けているお酒。 ブランデー、ジン、ワインキュラソー、薬草が

ベースになってるそうなんだけど、その配合分量などは いまだに秘伝になっているそうだ。

明治大正浪漫とでももうしましょうか。

「デンキブラン」という名前を聞くと 着物に真っ白いエプロンをかけた「かふぇの女給さん」とか

山高帽の紳士とか、川端康成とか谷崎潤一郎とか浅草オペラとか

もちろんわたしはそんなもの見たこともないんだけど そういう浪漫な光景が目の前に浮かんできそうな

心持ちがする。

おお♪そのあこがれの「デンキブラン」が今 わたしの手の中に。。。。。

「冷蔵庫できんきんに冷やして飲んで」という 忠告も待てずに、ロックで飲んでみた。


う、うまいっ!!!!

なんてうまいんだ( ┰_┰)

目の前に わたしの見知らぬ 明治大正期の 東京下町の光景が浮かんできた。

ほんとに浮かんできた(気がした(笑))

わたしは大正時代にいた 物憂げな有閑マダムになって グラスをかたむける。

髪は「七三まげ」とかに結って ふかぁいため息のひとひとつもつきながら、

窓辺にもたれてデンキブランのグラスをかたむける。

そんな姿を想像してみる。

と、意味不明なことうだうだと書いているのは 酔っぱらってきたせいでしょう(笑)

そんなわけで、茄子さん。

心からありがとう!あなたのおかげで あこがれのお酒に 巡り会うことができました!

生きているって本当にステキなことだと、心の底から 思う夜です。


10月16日

息子のランドセルから出てきた 習字



トリカブトって。。。。( ̄▽ ̄;;

「なんでトリカブトなの?(;^_^A」

「好きな字 書いていいって先生が言ったの。」


しっかし、字がきたないなぁ〜(そういう問題では)

10月15日

昨日は2回目のりんどうライヴ

ちょっと遅れて店に到着すると、なんか前回より 駐車場に車がいっぱい止まってる

おそるおそる中に入ると、いつものメンバーの他に 見知らぬ面々が。。。。

「フォーク村の村長さんとその仲間たちです」

( ̄▽ ̄;;え゛・・・・

まぁ〜そんなお歴々がおいでとは(笑)ってゆーか、みなさんもうずっと演奏&歌ってきた人たちで、

たぶんおそらく耳も目も肥えてるんだろなぁ〜 そんな人たちの前で歌うのは超緊張した。(;^_^A

今回は全部オリジナルでいこうって決めていた。コピーって実はすごく難しいことなんだと、

ちょっとだけ人前で演奏するってことを経験してみてやっと気づいた。

絶対的に本人が歌ったほうがいいに決まってる。 コピーやろうと思ったら、完璧に近いほどコピーするか、

もしくは自分の歌にしてしまえるくらいの実力ないと、ただのカラオケになっちゃう。

昨日のライヴでも、拓郎・陽水・長渕 でたけど みんな自分の歌にしてて、聴いてて心地よかったな〜

Hさんの「案山子」 

橋さんの陽水

村長さんの拓郎

それから、えっとえっと名前また忘れちゃった 実は刑事だったことが昨日判明した○○さんの長渕剛

みんな根っから音楽が好きなんだなぁ〜って伝わってくる。

その「音楽大好き」の波動がとても心地よい。

自分も演奏する そして人の演奏も聴く 演奏する者と聞く側の、気持ちのキャッチボールが とても気持ちいい♪

緊張したけど、楽しかった。 「嫌な汗」じゃない いい意味での緊張感。

昔 演劇やってた時に、出番が近くなると 舞台のソデで心臓が飛び出るかと思うほど 緊張したけど、

それが快感だったりもした。

その緊張感が忘れられない。

ちょっとその感覚を思い出した。

フォーク村の人たちにも紹介してもらって、また新しい人たちとの出会いがあった。



10月14日
息子(小6)が、ついにスターウォーズデビューを はたした。(笑)

映画見る前から 「ダースベイダーってアナキンなんだよね」

だの、「アナキンってルークのとーちゃんだよね」だの

「シスってなーに?」「ルークはジェダイマスターなの?」 って聞く聞く(;^_^

それじゃーってんで、やってこの前「スターウォーズ」(初期のやつね)レンタルしてきて、見せた。

「おもしろい!!ハンソロかっこいい!!」

さすが我が息子。

学校で友達たちに「うちのお母さんはハンソロのサイン持ってる」と話したら 「ええっ?うっそぉ〜すげーーーーっ」と

言われたそーで 「嘘だと思ったら家に連れてきな・・・見せてやる」 と答えたわたし(笑)

で、息子のお気に入りはダースベイダーとダースモールと グリーバス将軍。

めっちゃくちゃ悪役びいきなとこも、わたしに似ている。


とたんにスターウォーズのレゴにはまって、 使わなくなったゲームを中古ショップに売ってできたお金で

買ったレゴが昨日届いた。

「ジャバザハット」の店(?)のレゴなんだが これがまたミョーちくりん♪



付いてきたレゴのハンソロが、どーみてもサラリーマン(爆)

ハンソロがなんで七三分けなんだよぉ( ´_ゝ`) しかも調理師の白衣みたいなの着てっし(笑)

ちょっと見ると小太りな神田川俊郎みたいに見えません?

レイア姫に至っては、

こりゃ天童よしみですかっ!!!?

これはかなり笑えます。

どーしたんだ、レゴ

そんなわけで、今 息子は毎日毎日飽きることなく

スターウォーズのことをわたしにしゃべりまくってます。(笑)




10月13日


むかし むかしのおとぎ話

天に 永遠の命を持つ花がありました。

でもその花はいつもかたいつぼみのまま。

その花を開いた時は 命果てる時

花は人間の若者に恋をしました

愛する若者のためだけに 咲きたいと思いました。

月のかがやく宵 花はたおやかにその白い花びらをひらきます

たったひと夜 たった一度だけ 恋しい人のだめだけに

そして 二度と目覚めぬ眠りにつくのでした。


そんなおとぎ話が浮かんできそうな花「月下美人」

その姿を見て浮かんだ詩に、青くりちゃんが 曲をつけてくれました。

こうやって、自分たちの思いが歌になっていくって とてもうれしいと、実感する今日この頃。

月下美人画像は青くりちゃんから拝借しました☆

10月12日

中村中 なかむらあたる と読む
「友達の詩(ともだちのうた)」

この歌を初めて耳にしたのは車の中で聴いていたラジオ。透明感のある声と、心に残る歌詞

その時わたしは中村中が生まれながらの女性だと思いこんでいた。

この歌を作詞作曲して歌ってる中村中(あたる)が男性として生まれたけど、心は女性 つまり性同一性障害の

シンガーだということを 古くからもネット友 キャレラさんの日記で初めて知った。

声も、公式サイトに載ってた画像も女性だったから わたしは彼女がそういう生い立ちだとはまったく知らなかった。

ドラマにもなったらしいけど、それすら知らなかった。

でも、最初に歌を聴いた時、なんとなく中世的な匂いのする言葉を紡ぐ人だとは思った。

探してやっとCDを見つけた。何度も聴いてみる。

痛いけど、心地の良い痛み

哀しいけど あたたかみのある哀しみ

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手をつなぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい

それすら危ういから大切な人は友達くらいでいい

友達くらいがちょうどいい

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不覚にもこのフレーズに 涙が出てきた

男でもあり女でもある

女でもなく 男でもない

「人」として生きるものが紡ぎ出す詩 旋律だから こんなにも人の心を突き刺すのか。

ほんと、ほんとよね・・・

大切な人は 友達くらいがちょうどいいのかも。

だってそれ以上を望んでしまったら 傷つけあってしまうもん。

それ以上を望んで お互いがお互いを食いつくしてしまうくらいなら、

大切な人は 大切な人のままで。

10月10日
タレント向井亜紀さん(41)と元プロレスラー高田延彦さん(44)が、米国内の代理出産で生まれた双子(2つ)の
出生届を受理されなかった問題で、東京都品川区は10日、抗告審で受理を命じた東京高裁決定を不服として、
許可抗告を申し立てた。高裁が理由があると認めれば、最高裁で審理される。

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欲しくて欲しくて 代理母って非常手段使ってまで 欲しかったんだから、認めてやれよ〜って気持ちもあるけど、

そうやすやすと特例認めてあげられない法律の壁ってのは、やっぱりあるんだろうなぁ。

壁は高くしておかないと、簡単に乗り越えられたら秩序ってもんがたもてなくなるでしょうし。

向井亜紀さんって代理出産に踏み切る会見の時「どうしてもこの人(夫)の遺伝子をこの世に残したいと 思いました」って言ってたよね。

最初聞いた時は 「ほ〜それほど夫を愛してるってことなんだろうな」ってくらいにしか思わなかったけど。

遺伝子かぁ・・・・遺伝子・・・う〜ん・・・・ねぇ、後世まで絶対残さなきゃならない遺伝子ってあるの?もしあるとしたら、

それってどんな?どんな手段使ってまでも、世間の賛否両論あびてまで 残さなきゃなんない遺伝子ってなによ。

「この人の子供が欲しい」じゃどうしていけないの?

これじゃー 女の子宮は遺伝子の保管袋みたいじゃないの。

とは言いつつも、向井亜紀さんが 強い思いで 代理出産に踏み切って双子ちゃん授かった時、 人ごとながら、ちょっとうれしかった。

だって 彼女の思いってのが画面のこっち側のわたしにも伝わってきたから。

彼女にとっては、あの瞬間 誰が産んだとかは問題じゃない、代わりに産んでくれた女性に感謝しつつ、産まれた子供は

まぎれもなく自分の 自分たちの子供だったはずだ。

いまさら戸籍にこだわってどうするんだろう。

あの選択をした時点で、こういう問題が出てくるのは 想定内だったんじゃないの?

「法律上は、出産したという事実がなければ戸籍上の親とは認められない」

さまざまな現状がある昨今だからこそ、なにかひとつ 確固たる「事実」(出産したとか)をとりあげて 決定づける必要性があるんだろう。

それが法律ってものなんだろう。

理不尽かもしれない。

でも、法律がかわらないなら、少しずつでも 「意識」をかえていく これしかない気がするのね。

もちろん、それって並大抵のことじゃない。

誰が産んだか が大切なんじゃない 誰が育てたか なんだと

彼らがこれから世間に 見せていけばいいんじゃないのかな・・・

10月8日



岩井志麻子原作「ぼっけぇきょうてぇ」の映像版
そあまりに過激な描写ゆえにアメリカでは上映禁止になったという。

原作は先に読んでいたんだけど、これが映像化されていたことを、わたしの古くからのネット友であり

ちゃぶ台仲間(駄作映画を発見してはちゃぶ台投げつける趣味) であるsmileyfaceちゃんのブログで初めて知った。

このたび、smileyfaceちゃんの多大なるご厚意で地元のレンタル屋やDVDショップでは絶対入手困難な

ブツを送っていただきまして、感謝感激 感涙の涙にむせびながら、さっそく鑑賞。

こ、これは!聞きしにまさる過激な映画でありました。というか、これ、もうここまでくるとなんでもアリ?(;^_^

「ぼっけぇきょうてぇ」とは岡山弁で「とても怖い」

アメリカ人の記者(ビリードラゴ)が、昔愛した女郎の小桃(美知恵)を訪ねてたどり着いた遊郭で出会った

顔が醜く歪んだ女郎(工藤夕貴)。 彼女が話す 小桃のおぞましい死に様 そして あまりにも忌まわしい身の上話。

とにかく、こればっかりはおすすめできません。あえて「見て」とは言いません。

でもね、誤解されるのを承知で書かせてもせらえれば、残酷な拷問シーンも、堕胎された胎児が透明な

せせらぎをすぅ〜っと流れていくシーンも 女郎の乱れた髪からあらわれる○○(ここ、伏せ字ね)も

すべて幻想的なのです。

目も覆うようなむごたらしいシーンなのに、画面に視線が貼り付いて動かせない。

食い入るように見入ってしまう。 ワンシーン ワンシーンがわたしには美しく見えた。

あの流されていく胎児でさえも、だ。

そして、前編にちりばめられた「赤」

血の赤、女郎の肌襦袢の赤、地獄絵の業火の赤

真っ黒い木に結びつけられたおびただしい数の布の赤 小桃の髪の毛の赤

「幽霊やお化けより、本当に怖いのは生きている人間」

そんな台詞のとおり、人間の持つ因業がなにより恐ろしい。

原作とはちょっと違った趣向の映画に仕上がってはいたけど「う〜ん そうきたか」って感じ。

まさか○○が「手」から先に出てくるとは思っていなかった(笑)

え?なにがって?うふふ・・・・ぼっけぇきょうてぇからとても書けない。。。 

工藤夕貴は「Sayuri」もそうだったけど、女郎やらせたら 右に出る女優は他にいないね。

なんでかって考えたけど、工藤夕貴って女優は見た目あんまり上品そうじゃないんだな。

でもってどことなく幸薄い感じがする。 でもすごくいい女優になったと思う。

何度も書くけど、こればっかりは見ないほうが いいです!!

でもわたしは見てよかったです。

smileyfaceちゃん、ありがとう!!



10月7日

ひょんなことから(ひょんってなんだ?)お知り合いになった「扇屋」マスターwakaさん

お店「駄菓酒屋 扇屋」に、昨日青くりちゃんと 行ってきました。

なんかね、初めて行った感じがしない。(笑)

いつ行っても暖かく迎えてもらえるような雰囲気の店内とスタッフ。

そしてド派手な金髪なのに 目がとっても優しくておしゃべりがとっても楽しいマスターのwakaさん。

それから奥様。

wakaさんは話上手だけど、聞き上手でもある。だからついついいろんなこと話してしまう。

聞くだけじゃなくて、こっちの話をちゃんと次の会話につなげてくれる。これって誰にでもできることじゃない。

一種の才能だと思う。 「俺が」「俺が」って自分の話しかしない人が結構いる中で、こんなにも相手の話に耳を傾け

次につなげてくれる人って貴重だ。

美味しいお酒、美味しい料理 心地よいJAZZ ああ〜サイコー♪なにが幸せかって、この瞬間が

わたしにとっては極楽♪極楽♪

ついついお酒がすすんで、日本酒3合に梅サワー4、5杯 飲んじゃった(;^_^

今朝はちょっと(かなり)二日酔い〜〜〜

で、11月16日に扇屋さんで、青ちゃん&わたしユニット名「yopikari」の単独ライブを

していただけることとあいなりました!

(うっそぉーほんとー?できるのかよー)という空耳がいまにも聞こえてきそうだけど(笑)

「石橋はまず渡れ」の青ちゃんのモットーを合い言葉に  ま、なんとかなるっしょ(;^_^

しかもwakaさんがパーソナリティーをつとめる 山形のコミュニティーラジオ局 「VigoFM」の中の

「10 DO IT WAKA WAKA LAND」 にゲストで呼んでいただけるとのこと。

ええーーー、いいの?わたしらみたいな一般市民を ゲストに呼んで。

つーか、ラジオ局に抗議の電話とかかかってきたりしないか?(;^_^

そんなわけで、なんだかとっても楽しい夜を過ごして 帰宅したのが夜中の2時半。。。。

わたしたちってちょいワル熟女?(爆)

「扇屋」のマスターwakaさん、奥さん、スタッフのみなさん

ステキな時間をありがとーございました。また近いうち行きます!



10月5日





宮部みゆきの恐怖時代小説短編集

宮部みゆきの本はこれ一冊しか読んだことがないんだけど 恐怖といっても、恐ろしいだけじゃなくて

人間の情とか念を感じさせて読み終わったあと もの悲しいようなそれでいてあったかくなるような話が数編収録されている。

特に「安達家の鬼」がわたしは好きだ。

幼い頃に両親を亡くし寂しい境遇をあたりまえのものとして 育った娘は、笹屋という商家に請われて嫁いだ。

笹屋の主人富太郎の母は離れでほとんど寝たきりの生活を送っている。姑の住まいする離れには

異様な臭いがするという。あやかしの影が見えるという。

でも、嫁にはなにも臭わない、なにも見えない。

姑は16才の時「安達家」で出会った「鬼」と 心を通わせ 今も共に暮らしているのだという。

哀しい目をした「鬼」に、寂しい心を抱えた少女が同化する。

少女が伴侶に恵まれ夫婦となっても、子をなし母となっても 年老いても、「鬼」はいつもそばによりそって守っていた。

「鬼」の姿は心が清いものには見えないらしい。

どうしてもその気配すら感じられない嫁に姑は言う。

「人は当たり前に生きていれば少しは人に仇をなしたり 傷付けたり 嫌な思い出をこしらえたりするものさ。

だからふつうは多少なりとも「鬼」見たり感じたりするものなんだ。

だけどお前にはそれがない。ということはお前はあまりにも ひとりきりで閉ざされた暮らしをしてきて、

まだ「人」として生きていなかったということなのだよね。」

人として生きるとは、世の中の嫌な部分 汚い部分 醜いもの 悪いものもすべて自分の袋の中に

取り込んでいく作業なんだろう。清いままではまだ人として生きたことにはならない。

「この家で、泣いたり笑ったり怒ったり、意地悪したり悪いことをしたり親切をしたりして暮らしてごらん。

そのうちお前にも「鬼」が感じられるようになる。ただ、それが恐ろしい姿を成さないように、それだけは

気をつけてね。」

そして姑が亡くなった時、鬼もまたあとを追うように消えていく。

わたしにはこの短編が寂しい少女と「鬼」の恋物語に思えた。

「鬼」は長い時をかけて少女を守ったのだ。

「良いことと悪いことはいつも背中合わせだからね。幸せと不幸は表と裏だからね。」


生きるっていいことばかりじゃなくて、悪いこともすべてひっくるめて「生きてる」ってことだ。

「鬼」が見えることもつらい。

見えなくてもつらい。

でも、わたしは「鬼」が見たいと思う。

わたしの中に巣くう「鬼」が、外の「鬼」に救いを求めているかもしれないから。


10月4日
北海道での、小六女児の痛ましい事件

やだやだやだ・・・・本当に悔やんでも悔やみきれない。少女の残したあの文章を読みましたか?

胸が痛んで痛んで どんなにつらかったのか どんなに悔しかったか みじめだったか

「親はどうして気づかなかったんだ」みたいな発言してる人もいたけど、子供にあんな形で先立たれて

しまった親だって死ぬほどつらいと思うよ。

クラス全員に無視されつづけていたという。

でも教育委員会は「無視がいじめに即つながるとは言い切れない」なんてふざけた回答をしてた。

きっとあの人は生まれてこのかた 無視されたことがないんだろうな・・・・

無視されることが、どんなにつらくてせつないかきっと知らないで育ってきた幸せな人なんだろうな。

朝、ニュース見ながら ついつい無視されているその少女の姿を想像してしまった。

想像だからもちろんわたしが勝手に作り出したイメージでしかないんだけど、クラスメイトたちに無視され

哀しそうにうつむく少女の顔を、見たような気がした。

少女の悲しみが心臓に突き刺さった。

涙が勝手にあふれてくる。出勤前なので非常に困った。

肉体的ないじめもつらいけど、無視って肉体の痛み以上に人の心を破壊していくもののような気がする。

もしわたしがあの少女だったらわたしのことをいくらたたいても、けとばしてもいいから

無視だけはしないで!!と叫んでいるだろう。

無視はれっきとしたいじめだ。


10月2日




またまた買ってしまいました(笑) 「廃墟」シリーズ

でも今回のは第二次大戦の遺物とでも申しましょうか。えーー、大戦の残骸ってこんなにもあっちこっちに

しかも民家のそこここに 残っていたんだ・・・ 知らなかった。

わたしが子供の頃はいつも遊んでた山の麓に防空壕の跡とかがあっちこっちに残ってた。

山の神社の石段がところどころ割れていて 「あれはB29が機銃掃射した時に割れたんだよ」
と、母親が言ってたり。

まぁそういう戦争の名残りはあった。

この前娘に「ママが生まれた時ってさ〜戦後まだ15年 しかたってなかったんだよね。なんかそれってすごくね?」

などと言われてしまいそういわれて見ればそうだなと妙に納得してしまった。

機銃掃射で破壊された石段はとっくの昔に補修され防空壕は埋められて、わたしの近辺にはもはや

戦争の名残りなど微塵もなくなった。

でも、全国には大戦の置きみやげが確かにまだ存在している。

60年の月日を経過した戦争廃墟は不謹慎な表現で恐縮だけど、まるでアーティストの作ったオブジェのようにすら見える。

人々のさまざまな思わくを、時がすべて覆い尽くして風化させて行こうとするみたいに。

時には「美しい」とさえ感じられる戦争廃墟でも、廃墟に宿った強力な「負」のエネルギーは、

おそらく未来永劫 消滅することなく発し続けられるんだろう。