12月30日

ひさしぶりに 中編アップしました。

もう5年前になるかなぁ 書きかけてそのまんまになっていたやつを、思い切って完成させてみました(笑)

ちょっと長いんで、お時間のある時読んでみてね〜

「野茨奇談(のいばらきだん)」

これは、わたしが20代の時に書いた

「暮れなずむ麝香の森」

という話の続編として書いたもので、さらに続くのはずなんでしたが、ここまで来るのに20年くらい

かかってるんで(笑)どうなることやら。

12月29日
小学校前の通りで年末恒例の「つめの市」

昔はここで正月用品を買いそろえたんだろうけど、今のご時世 元旦からスーパーが開いてるし、

しめ飾りもお供え餅も、なんだってスーパーで買えちゃうから、ほとんど形骸化してしまっている「つめの市」

なにを買うでもなく、ただブラブラと歩いてみる。

今じゃちょっとお目にかかれない「すりこぎ」とか ちゃんと銘のはいった包丁とか、

合成樹脂じゃない木のまな板とか、見ているだけでも風情がある感じ。

天気が悪かったから、3時過ぎに行った時には ほとんどがもう店じまいしていた。

たこやき買って帰ってきましたとさ。


12月28日
葬儀も無事終わって、やれやれ〜

葬儀とはいっても、別に一日中悲しみにくれてるわけじゃない。久しぶりに顔を合わせる従姉妹従兄たちと

おしゃべりしたり、従姉妹の小さい子供達とたわむれたり叔母たちとお茶を飲んだり。

まあ 大半が そんなことで過ぎていく。

つい最近(ほんの9ヶ月前)に、叔父の葬儀をしたばかり だから、なんかみんなミョーに手慣れたもんで(笑)

特にこれといってとまどうことなく、ちゃんちゃんと 事が運ぶ。あたしなんか葬儀の受付 慣れたもんよぉ〜

叔母んちのトイレのカレンダー 12月のお言葉が

「そのうちよりも いまのうち」

あまりにもタイムリーな言葉だったんでしばし見入ってしまった。

ほんとだほんとだ・・・いつ死ぬかとか 独りで 死ぬのかとか、そんなこと考えてたってしょーがない。


そのうち そのうち なんて言ってるうちに死んじゃってたなんて悲しいもん。

いまのうちに やりたいこと やろうと思ってたこと やらなきゃいけないこと やらないといかんなぁ

生きている「今」が大事なんだよ。

人はいつか死ぬ いつ死ぬかわからない。

実感して あらためて心に誓ったことがある。

「自分の気持ちに正直に生きる」

好きなものは、好き  嫌なものは嫌。 嫌なことを平気なふりしてやったり 好きなのに嫌いなふりしたり

そういう自分の気持ちに背くようなことはやめよう。

いつかこの世から去る瞬間に、自分の生き方に 後悔しないように。

なんて書くと堅苦しいけど  つまりは結局 できるだけ楽しく生きていこうって ことです(笑)

12月27日
今日は1日叔母の家でお勝手の手伝い。

午前中 電話がきたので出ると 叔母が毎年県外の親戚に送るリンゴを頼んでいる 農家の人からだった。

「25日の月曜の夕方に集金にうかがったんですけど ご都合が悪かったようなんで、いつお伺いすればいいんでしょうか。」

どーやら亡くなったことをまだ知らない様子だ。

「月曜の夕方に亡くなったんですよ。」

「え・・・・・」

電話の向こうで絶句しているのがわかる。

「いつですか?!」

はっきりはわからないんですけど、25日の4時頃 じゃないかと。。。」

だいたいその時刻だったんじゃないかとの検死結果だった。

「25日の朝に リンゴの代金の集金に夕方6時頃 来てくれって電話があって、行ったんですけど、

家の中が真っ暗で、チャイム鳴らして声かけたんだけど、出てこないし、でも家の中から『あーー  あーー』って

声がして、今思えば苦しそうな声だったなぁ・・・」

ってことは・・・リンゴ屋さんが訪ねてきた時はまだ生きていたのか・・・?

その話を従姉妹達にすると、 「助けをもとめていたんじゃないの・・・・?」と 涙ぐんだ。

「どうしてその時 おかしいって思って くれなかったんだろう、どうしてもっと声をかけ続けて くれなかったんだろう」

でもね、もう言っても詮無いことなんだよ。

これも運命だったんだと思うしかない。

ってことはだ。

倒れて 胸を強打するかなにかしても、すぐ亡くなったわけじゃなくて、しばらくの間は意識があったってことになる。

このまま誰にも発見されることなく 自分は死んでいくのか と、思いながら 実際発見されるまでの丸1日 

彼女はどんな思いでいたんだろう。その孤独感と恐怖 絶望を思いやったらそれまでに彼女から受けたひどい仕打ちなど

帳消しにしてあげてもいいとすら思った。

訃報を聞いてかけつけた別の叔母が言った。 「独りで暮らすってそういうことなんだよなぁ・・・」

この叔母もまた 叔父に先立たれ 独りで暮らしている。

「毎日 寂しくて眠れない。寂しくて寂しくて どうしようもない。このまま死んだらいったい誰が 見つけてくれるんだろうと思う。

そう考えると ますます眠れないからお酒を飲む。テレビに向かって独り言をしゃべる。黙っているともっともっと寂しく

なるから独り言しゃべって気を紛らわせるんだ。独りで暮らしていくって、そういうことなんだよ。」

その叔母の言葉が深く胸に突き刺さる。

「生まれる時も独り 最期もまた独り」

いつか独りになった時 わたしは、その寂しさに折り合いつけて生きていくことができるんだろうか。

叔母のように、誰も助けに来ない真っ暗闇で 「死」と対峙しなければならなくなる恐怖を うまくやり過ごすことができるんだろうか。

などということをつらつらと考えた1日だった。


12月26日
夕方、娘を塾まで送っていった帰り、息子と買い物終えて 車運転していると、携帯に電話。

青くりちゃんから。

「はいは〜い」

「あ、櫂ちゃん?大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ〜  ってなにが?」

「ほんとに大丈夫なの?」

「え、なに?なにが?」

「いや、いま 櫂ちゃんちの店の前に救急車が 止まってるってメールが来てさ、なにかあったのかと思って。」


ええっ?そりゃ初耳 寝耳にミミズヾ(ーー ) オイオイ

すわっ オヤジでも倒れたかっ

そのまま速効で親の営んでいるお店まで車  走らせたのだった。

すると店の駐車場に救急車が止まってるんだな、これが。

あわてて店をのぞくと誰もいない。

店のちょうど裏手が母親の実家になっていて、叔父夫婦が住んでいたんだけど、叔父は今年の4月に

亡くなって、今は叔母が1人で暮らしている。

叔母の家のほうを見ると、玄関先に警察官が二人 立っている。

救急車はわかるけど、なんで警察が??

いろんな思いが錯綜する。

(え・・・まさか しししししし障害・・・さささ殺人) (じじじじじじじさ  じさ  じさ・・・)

「ご家族のかたですか?」

警官に質問される。

「あ、いや、家族ってわけじゃないんですが、あの・・・ あっちの店の娘ってゆーか、ここんちの姪なんですけど」

「身内の人ね、どーぞ。中に入ってください」

「なんかあったんですかっ?どーしたんですかっ うちの親 中にいます??」

(そんなこと警官に聞いたってねぇ(;^_^A)

玄関に入ると黄色いジャンパーを着た警察官が カメラであっちこっち写真撮ってる。

えっ?  これって・・・鑑識・・・?

玄関脇のキッチンからうちのオヤジさんが出てきた。

「なに・・・どしたの・・・」

「叔母ちゃん、倒れて亡くなってたんだ。」

夕方 車で30分くらいのところに住んでいる長女が様子を見に寄ったら、トイレの前で倒れている

叔母を発見。あわててうちのオヤジさんに声をかけて 一緒に救急車呼んだけど、もうすでに死後数時間

たっていたらしい。

「変死」扱いなもんで、すぐ警察がやってきて、 鑑識が行われた。最期に叔母の生存を確認した人を

探すことから、指紋の採取 第一発見者である長女への事情聴取、電話の通話履歴 着信履歴

テレビに出てくる様子が目の前で繰り広げられる。

叔母は数年前に脳梗塞で倒れて以来、体が 不自由だった。歩行も困難、右手は麻痺してまったく

使えなかったので、転ぶと手が出ないため、転倒したはずみで胸を強打したことによる 心停止 との検死結果が出た。

「それでも 転んだのが原因で心停止したのか 心筋梗塞を起こしたから転んだのかは、今となっては

わたしにもわかりません。」と医師は言ったという。

いずれにせよ、誰からも看取られることなく 叔母は逝った。

この叔母って、悪いけどかなりイッちゃってる人で周囲に多大なる迷惑をかけっぱなしだった。

特にうちの親はこの叔母には ひどい仕打ちを 受けつづけていて、ひとことでは言えない積年の思いがある。

それでも、黄色いシートをかぶせられた姿を 目の当たりにした瞬間、涙があふれてきて 足が震えた。

嫌な人だったけど、それでも最初に叔父の元に お嫁にきた頃は、まだ叔母もイカレテなくて

わたしは「おねーちゃん」と呼んで一緒に お風呂に入ったり、買い物に連れてってもらったりしたこともあった。

年を追うごとに 虚言癖 盗癖 等々 出てくるのは叔母の家の家系 血 なんだと、親戚の人たちは言った。

「あんなひどいことして、ろくな死に方しないぞ」

よく父はそういっていた。

老後をひとりで暮らすって、こういうことなんだと実感した。亡くなる瞬間 叔母はなにを思ったんだろう。

誰にも知られることなく、丸1日。

でもわたしは、とても叔母らしい死に方だったと思う

どんなに悪いことをしても、罪悪感のかけらも 持たなかった人。他人に意地悪することが最高の喜びだと豪語していた人

救急車呼んでパトカー呼んで、鑑識まで来て

「な?な?わたしってすごいだろ?(笑)(笑)」

ってゲラゲラ笑っている叔母の顔が見えるような気がする。






12月25日
今日はマジでなんだか忙しかったです。

いくら忙しくても、ある時間帯はぽっかり 穴があいたよーになる時があるんだけど、

今日はなんだかヒジョーに 疲れました_| ̄|○ il||li

お昼食べたのはもう1時過ぎ。

次に食べる人が控えてるから、あわただしくかっこんで 戻りました。

いろんなこと同時にできないわたしにはいろんな仕事を同時にこなすって、実は苦手(笑)



それでも、今日が今年の仕事納め。

あとはおそらく来月の10日あたりからの出勤に なると思われ。。。。

しかたないから(しかたないのかよ(爆))

今年こそは大掃除とか、やんなきゃ

(思うだけ・・・思うだけ・・・)


12月24日

今日は「おおもり」定例ライヴだった。

最初はわたしも青ちゃんも 欠席の予定だった。 いくらなんでも24日 クリスマスイヴの夜にはねぇ・・・

が、しかし、子供達はもうクリスマスなんてイベントは どうでもいい年齢となり、うちのトリカブトおかわり少年ですら、

ケーキ食べてプレゼントもらったら、 プレゼントのレゴの作成に夢中で、母など いてもいなくてもいなくてもいても・・・

なので、急きょ参加すること!

でもなんですねぇ さすがに出席者は少ない。 それでも、

「今日はこないのー?参加者めちゃ 少ない( ̄▽ ̄;;」という青ちゃんのメールで、

「じゃこれから行く!」

と、やってきたのはエブリィ○矢さんでした(笑)

今年からおおもりライヴに参加するようになった少年A 改め コシくん。

今日初めてソロで歌ったけど、これがなかなかいい感じなんだな〜

この子、きっと もっともっとギターも歌もうまくなる。

うまくっていうか、とってもハートのある歌が歌えるようになる感じ。

若さっていいね☆

楽器を持っていかなかったわたしたちは、エヴリィ氏にギターを借り、わたしはピアノで演奏。

いつもとちょっと違うんでちょっととまどった。

今年はこれが歌い納め。

また来年もライヴいっぱいやりたいなぁ。。。

曲もいっぱい作りたいなぁ。。。。

エブリィ氏がわたしたちに曲を提供してくれるという うれしい申し出もあって、

またまた新しいことに挑戦できそうな予感です。

みんなニコニコして、楽しそうでステキ♪




12月24日



クリスマスイヴなのにいきなり「蟲」とは(笑)

なにげに買ってきたマンガ「蟲師」に ハマってしまった。

「蟲師」  作.漆原友紀

ここに描かれている「蟲」とはわたしたちが言う本来の「虫」  昆虫 蝶々 蠅 蚊 とはまったく違う。

植物でもなければ動物でもない。

世の中のさまざまな怪異現象を引き起こす存在としての 「蟲(むし)」

「蟲」を呼び寄せてしまう体質を持ってしまったがゆえに 各地を旅して「蟲」を研究 時には駆除?して歩いている

「蟲師」のギンコを主人公に、さまざまな「蟲」と それに寄生されてしまったがゆえに起こる怪異を描く。

舞台設定は「江戸期と明治期の間にある架空の時代」だそうなんだけど、その独特の雰囲気がいい♪

作者は「妖怪・幽霊の類はいまのところ完全には 信用していないんだけれど、いて欲しいと思っている。

「蟲」は、そのへんのジレンマから生じた「妖怪」の形でもある。」と書いている。

「蟲師」を読んでいて思い出したことがある。

「かんの虫」っているでしょ?

子供が夜泣きしたり、かんしゃくおこしたりするのは体の中に「かんの虫」ってやつがいて、治すには

かんの虫を退治しなきゃならないという まぁ言い伝えみたいなもんです。

2、3才の頃 わたしはなにかっていうとすぐかんしゃくをおこす子供だったらしくて、親にかんの虫退治をされた記憶がある。

青いポリバケツにお茶と釘を入れて、 てのひらになにかおまじないのような文字を 墨で書かれ、

そのお茶のなかにしばらく両てのひらを つける。そのあと、蛍光灯にてのひらをかざすと

爪の間からニョキニョキと、糸くずのような かんの虫が次々と出てくるの!!

「ほら・・・出てきた出てきた。これがかんの虫だ」

父はわたしの爪の先から出てくる蟲をひょいひょいと 取ってくれた。 あの時の光景をわたしははっきりと覚えている。

蛍光灯の光に透かして、糸くずのような蟲が わたしの爪の先からヒョロヒョロと出てきては フワラフワラと動く。

そいう話をすると、聞いた人はみーーんな 「またまた〜櫂さんったらぁ(;^_^A」 って反応するんだな(笑)

「あ、それ自分もやったやった。」って人にはいままで会ったことがないんだけど、

わたしはしばらくの間 これってみんな一度はやってることだと思っていた。

人間の体の中にはかんの虫ってのがいて ああやって指先から出てくるものなんだと ずっと思ってた。

大人になってから一度だけ親に、その時のことを 尋ねたことがあった。

「やったよ、かんの虫退治。あれはよく効いたなぁ それからはお前 かんしゃくおこさなくなったもん」

父はそう答えた。

「爪の間から虫でてきたよねぇ?」

「いっぱい出てきたっけなぁ」

あの時 わたしの中から出てきたものは、いったい なんだったんだろう なんて時折ふと思いだしたりするんだけど、

「蟲師」を読んで そうか、もしかしたらあれが「蟲」ってものだったんだと 妙に納得してしまった。


「蟲の宴」って言葉があって。

蟲が人に擬態し客(人間)を招くといわれる宴のとこをいう。この中では蟲達から光酒の入った杯が渡されるが、

これを飲み干すと生物としての法則を失い、蟲になってしまうという。

蟲の宴に招待されたら、わたしは迷わず「光酒」の杯を飲み干すだろう。人間という殻を脱ぎ捨てて

蟲になるのもそう悪くない。




「蟲師」公式ホームページ





12月22日
この前「扇屋」さんでやったyopikariライヴの DVDをwakaさんのご厚意で頂戴しました☆

実はDVDのタイプがうちのパソじゃ見れないタイプ だったよーで、DVDプレーヤーを持っていない

貧乏人のわたしは(笑) どーしても見れなかったのです。

そしたら、青くりちゃんがいろいろ手を尽くしてくれて うちのパソでも見れるタイプのDVDにしてきてくれたんで

やっとあの時の映像 見れました!!

青ちゃんも、くどちゃんも、わたしも とっても楽しそう♪

そう、あの時 とっても楽しかった。

いつもはガチガチに緊張して、いやーな汗かいて 終わるのに、「扇屋ライヴ」では、悪い意味での

いやーな緊張感はなくて、歌ってるのがとっても楽しかった。

人前で あんなに楽しかったことっていままでない。

今年最大のわたしの中での大きなイベント。

たぶん一生忘れないだろうな。

その思い出を形にしてくれた「扇屋」さんに 心から感謝です☆


このDVDはわたしの一生の宝物にします!


12月20日
青島幸男氏の訃報にも愕然としたけど、岸田今日子の訃報にはまたさらにがっくりきた。

子供の頃から大好きな女優だったんだ〜岸田今日子。

魔女を思わせるような独特の風貌

深みのある声

どこか超然とした態度と、気品すら感じさせる物腰。

それでいて少女みたいに無邪気な心も持ち合わせる。

20才くらいの時 教育テレビで日曜の夜9時に 劇場中継があった。

劇作家 清水邦夫の 「あらかじめ失われた恋人たちよ 劇編」ってのが 中継されて、

あれはわたし的にはかなり面白かった。

ってゆーか、ストーリーは なんだかよく わけわかんないんだけど、抽象的で(笑)

それでも、岸田今日子・吉行和子・松本典子の 非常に個性の強い3女優に、わたしの大大大好きな

清水紘治が出てるんだもん! その演技を見ているだけで 面白くないはずがない。

特に長女役の岸田今日子の演技は独特の オーラを放っていた。

台詞まわしは あくまでもおだやかで、静かで淡々としているのに、その物言いに

時折ぞぞーーっと来るような妖気みたいなものとエロチシズムを感じるの。

あんな演技のできる女優は いまはもう他に
いません  キッパリ


当時演劇少女だったわたしは、さっそく戯曲集を買ってきて、自分が岸田今日子になったつもりで

何度も読んでいた。

ああ・・・あの超然とした演技はもう見ることが できないんだなぁ。

ほんとに残念。とっても残念。




12月17日




英国王ジョージ五世の戴冠式に招待されたカルパチア摂政大公チャールズ(ローレンス・オリヴィエ)と、

若いショーガール エルシー(マリリン・モンロー)のつかの間の恋。

モンローの映画は初めて見た。

彼女が死後数十年たっても世界で愛される訳がやっとわかった。

めっちゃくちゃ愛らしいの。

女のわたしが見ても 胸がぎゅっとしちゃうくらい愛おしい。

そして、セクシー☆

どこか足りなさそーに見せていて実はとっても聡明な、知的じゃないけど、物事の本質を本能で見抜いているような。

天真爛漫でキュート。それでいてどこかしら寂しげな。

ちなみにローレンス・オリヴィエは、どーしても江守徹を思い出しちゃうのよね〜(笑)

18ヶ月たったら、大公は息子に地位を譲って晴れて自由の身になれる。

エルシーは一座との契約が切れる   その時に・・・・その時がきたら・・・・

「それでも世界はなにがおこるかわからない」と大公が言う。

これといった約束もしないまま、大公たちを見送り

大使館を笑顔で去っていくエルシーの姿で映画は幕を閉じる。

18ヶ月後

役目を終えたチャールズが、エルシーを迎えに来ればいいなぁ

そんなあり得ないハッピーエンドを望んでしまう。




12月14日



仕事休みだったけど、用事があって午前中職場に行ったら、キョーコさんから「パッションフルーツ」をもらった。

キョーコさんの自宅の庭で作ってるそーで、去年初めてもらって食べた時は、ひと口食べて

( ̄▽ ̄;;なんじゃこりゃぁぁぁ!!!

と、叫んだほど強烈な味と香りで 次の瞬間スプーン放り出したほどだったんだけど キョーコさんがあまりにも

美味しそうに食べている姿を見て、再度チャレンジしたところ、なんか ハマってしまったのだ☆☆☆

この怪しげな(笑)外観と、南国を思わせる 強烈な芳香。酸っぱさ80% 甘さ20%

種の歯ごたえがカリリと心地よい。

「みんな まずいまずいって食べないのに、 櫂さんは美味しい?って食べてくれるから、あたしうれしーのよぉ」

と、キョウコさんはうれしそーに くれた。

パッションフルーツって名前を聞くと 情熱(パッション)の果物と思われがちだが

その名の由来はキリストの受難(パッション)からきてるそーな。

その花がキリストの十字架に似ているからだそうでネットで調べてみると、

こんな感じですかね   「パッションフルーツの花」

果実に負けずおとらず、怪しげな風貌です(笑)

以前、の日記にも書いたけど いまにも花心がクワッと口をあけて、ゾロリと並んだ牙で

男の喉を食いちぎりそうな感じがするじゃないの。(;^_^A

花言葉は「信じる心」(笑)

300年前に「必ず戻る」と言い残して自分のもとを去った恋人の帰りを、妖怪になり果ててもただひたすら

待ち続ける女。もう一度恋しいあの人に逢うために、行きずりの男たちの生き肝を喰らいながら

「必ず戻る」といった恋人の言葉を信じて・・・・・

なーーんて妄想がわいてくるほど醜悪なでもなんとなく惹きつけられる姿の果物

「パッションフルーツ」が好き♪



12月13日



超有名なプレイボーイのニッキー(ケイリー・グラント)と、歌手のテリー(デボラ・カー)

豪華客船の中でめぐり逢ったふたりの男女は互いに婚約者のある身でありながら、

恋におち 半年後 エンパイヤステートビルの102階で再会する約束をする。

その間、ニッキーは富豪の女性との婚約を解消。画家としての道を歩み、テリーも

婚約を解消し、歌手として再び働き始めた。

1年後 テリーは約束の場所にむかう途中で交通事故に遭ってしまう。

古典的な男と女のすれちがいロマンス映画。まぁ日本で言えば「君の名は」ってとこでしょうか。

その一挙手一投足がニュースで報道されるくらいの超プレイボーイなニッキー役のケイリー・グラントが、

なんだかやけに年くって見える。

調べてみたら、ケイリーグラントこの時53才なんですな。。。

確かにいい男なんだが(昔風の) ちょっと設定に無理が?(笑)

テリーの婚約者も なんだか実にいいやつと申しましょうか

「あたし、他に好きな人が出来ちゃったの・・・結婚できないわ」なんていきなり言い出した恋人を、

それでもずっと支え続けて結局ハッピーエンドと共に おそらく「いい人」どまりでおしまい。

割あわないよね(;^_^A

この「めぐり逢い」は後にウォーレン・ベィティとアネット・ベニングでリメイクされたし、

メグ・ライアンとトム・ハンクスで、「めぐり逢い」を元にした「めぐり逢えたら」が作られてるし、

アメリカ人ってのは、こういうストーリーが好みなんでしょうか。

「めぐり逢えたら」では「めぐり逢い」を見て号泣するシーンが出てきた。

アメリカに限らず世界中は ロマンスにあこがれている。

これといってどうってことない映画ではあるんだけど、テーマ曲「An Affair to Remember」がすごくいい!!

ニッキーとテリーがまだ恋に落ちる前に、ふたりでニッキーの祖母を訪ねるシーンで、

祖母がピアノで奏でる「An Affair to Remember」

テリーが婚約を解消し再びステージに立った時歌った「An Affair to Remember」

その甘やかな旋律は恋心をくすぐる。



12月10日
今朝 FMで ベント・ファブリックの「愛しのセニョリータ」を聴いた。

ベント・ファブリック

この人は 81才の現役バリバリピアニスト!

新曲「愛しのセニョリータ」は、ノリノリのラテンナンバー。
おお〜これは原曲は「ウォーターメロンマン」だな? (子供の頃 子守歌かわりに聴いてた曲です(笑))

おいおい、日本にこんなファンキーなピアノ弾く81才って いるのか? カッコヨスギ!!

公式サイト見てみると、ピアノの上にのっかった椅子にすわった黒服のベントの画像があって、

なかなかかっこいい爺さまなのです。

今でもデンマーク国内をツアーで回っててウェブやPCも使いこなす。

やっぱりさ、こんな人生 送りたいよね。

いろんなことにおいて、「年くっちゃったから若い人のやることはわかりません」「できません」って言っちゃえば

それまでなんだけど、そこで「できない」ことに甘んじてしまうと、先はないわけで。


40代になると、人間って2種類に分かれると思う。

できないからやってもらう人と、できないことをなんとかやろうとする人

やってもらうと 一番てっとり早い。でも次に同じことやろうとした時に、やってくれた人が側にいないとやれない。

その繰り返し。

つい最近 ある人が

「わたしなんかパソコンのことなんにもわかんないからいつも息子にやってもらうんです〜」

って言ってたけど、いや、それはいいことなんだけど やってくれる人がいるのは大変しあわせなことで

誰もやってくれる人がいないわたしは、自分でなんとかするしかないのでありますが(笑)

ずーーーっとこの先息子が側にいるとは限らない。

できる息子がいなくなったら、なんにもできないってのは困るよね。

いちいちなんかやるのに、息子や旦那に頼むってのも まあ、ここぞって時はいいんだけど、

ちょっとした ことで「お願いします」って言いたくないわたしはダメかも(;^_^A

できないことをなんとか次は自分でやろうと思ってできる人に聞く。教えてもらう。

もちろん1回じゃわからない。でも何回でも聞く。そうしてるうちに、いつしか自分でできるように なっていく。

パソコンでも、音楽でも 生き方でもやっぱり「自分でやろうとする人」のほうが やってもらうことに甘んじて過ごす人よりも

後々 人生が豊かになっていくような 気がする。

81才のベント・ファブリックがカッコイイのは 81だからできない わからないって 言わなかったからなんだと思う。


12月9日
「スターウォーズ」にハマりまくりの息子。

レゴでスターウォーズの名場面集を作りました。

最初のやつは、「エピソードV」



師であるオビワンとの戦いに敗れ、溶岩の中に 落ちたアナキン・スカイウォーカー。
赤い部分は溶岩なんですと(;^_^A

次の画像は



「スターウォーズ ジェダイの帰還」よりクライマックス。

ルーク・スカイウォーカーとダースベイダーの父子の戦い。 敗れた父ダースベイダーのマスクをとるルーク。

ここでやっと、父と子として対面する感動のシーンです。

そう思って見ると、なかなか上出来でしょー?(笑)

それにしても、マスクとったダースベイダー  どうみても  頭  とっくり。。。


12月5日

りんご月間につき、毎日毎日職場で大量のりんごをいただく。

生で食べるのもいい加減飽きてきたんで、こんなものを作ってみた。



「リンゴのコンポート」

白ワインで作る予定が、コルク栓が開かず、ロゼワインで煮た。

色合いがほんのりいい感じ。




「リンゴのファーブルトン」

フランス ブルターニュ地方の家庭でよく作られるリンゴのケーキ。

これは作りたてより冷めてからのほうが、モチモチしてて美味しい。

あとは、リンゴジャム。レモンをたっぷりしぼって甘酸っぱく仕上げたら、そのまま食べても美味しい。


12月1日
今日は 娘の推薦試験 発表の日。

面接後のあの様子で、おそらくもうダメだろうなと、親子共々心に思っていたものの、一縷の望みにかけていた。

10時にホームページで発表なのは知ってたけど、あえて見なかった。

なんとなく落ち着かないから、リンゴジャムをただ黙々と煮る。



期末試験のためお昼の電車で帰るはずの娘から携帯に電話。

「電車 乗り遅れたから迎えにきて。。。」

「いいけど、結果わかったの?」

「ん・・・」

「どうだったの?」

「言いたくない。」

声の調子から行くと桜は咲かなかったとみえる。

車 運転しながら何回も深いため息をつく。

あんなに一生懸命準備しても、評価にはつながらない。それもまた人生。

ここでため息出し切って、娘の前では決して ため息はつくまい。

車に乗り込んだ娘は意外にも元気だった。

「うちの学校から受けた人  全滅(笑)」

「えーー、そーなんだ?」

クラスのみんながすごく優しくて、 「めげるなぁ!一緒にセンター試験がんばろうね!」 って励ましてくれたのが

とても嬉しかったと話す。

職員室では先生達が「センターがんばれよー」と 頭をナデナデしてくれたそーだ(;^_^A

面接がうまくいかなかった時点で、かなり落ち込んだもののその瞬間からすっぱり気持ちを切り替えていた娘。

「なんかさ、結果わかってかえってサバサバした。 あと50日あるんだから、またセンターに向けて勉強するよ♪」

なーんか明るい明るい(笑)

挫折はこれが初めてじゃない。

中学の時 高校に推薦してもらおーと申請したものの担任から電話がかかってきて、「残念ですがおたくの娘さんは推薦審査に

通りませんでしたので 推薦できません」って言われた時には、 ちょっとガックリきた。

中三ですでに、1回 こんな目にあってる彼女。 もちろん、一般入試で入学したわけだけど。

「そーだよなー、お前の良さがわかんない試験管に、センター試験でリベンジしてやれぃ。」

そーだ、リベンジだっ

面接試験通さなかった試験管にほえ面かかせてやるのだぁぁっ

母はただただエールを送るしかない。

彼女はわたしなんかよりずっと 気持ちの切り替えが素早い。