【罌粟・けし】


「諫早菖蒲日記」という野呂邦暢の小説に罌粟の話が出てくる。志津という15歳の少女が諫早(長崎県)の幕末の日々を描いたものだ。

伯父上は罌粟畑にかがんで花びらの下にふくらんでいる子房に小刀を当てられた。縦にあさく傷をつけると、まもなくねばり気のある汁液がにじみ出てくる。それがかたまりかけると竹べらでかきとり、竹の皮にすりつけた。叔母上がそれをひなたにならべ、風でとばないように石を重しにのせられる。私は伯母上のすすめで浴衣に着替え、たすきをかけた。罌粟の汁は布にこびりつくと洗っても落ちないそうである。伯父上のすることを真似て、花びらの子房を小刀で傷つけ、にじみ出る汁液をかたまらないうちにそぎとった。傷は三条だけつけるように、と伯父上は念をおされた。ひなたで乾かした汁液は濃い茶褐色に変じている。これは腹痛にきくそうである。伯父上はいわれた。「矢傷、槍傷、刀傷、なんにでもきく」、「弾丸傷にはきかないのでありますか」、「おお、弾丸傷に効かないことがあろうか、いかなる苦痛もやわらげる、量と含み方によっては魂、天外に飛ぶ思いもする」。白い花があり、紫と深紅の花があった。ご家老方に世事の憂さを忘れさせるために栽培された罌粟であろうか、と私は問うた。万が一、長崎表で外国船を迎えていくさになった場合にそなえて栽培しており、と雄斎伯父はいわれた。

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罌粟はケシ科の1年生草で学名をPapaver somniferumという。阿片の原料で主成分のモルヒネは強い鎮痛作用をもち、これを基に合成されるのがヘロインという麻薬である。モルヒネの他に鎮咳作用を持つコデインやノスカピン、平滑筋鎮痙作用を持つパパべリンなどが知られている。栽培禁止の罌粟は葉柄がなく茎を巻き込むように付き、葉の切れ込みが比較的浅い。また茎や葉にほとんど剛毛のないのが特徴である。

西ヨーロッパ、東南ヨーロッパが原産で現在インド、トルコ、パキスタンが産地として知られている。日本には桃山〜江戸時代に中国から渡来し、第1次世界大戦頃、医薬品国産奨励のもと栽培が広がり、1935年頃には全国作付けが100ha、阿片の年間生産量は15tに達した。第二次世界大戦後の1946年ケシ栽培が禁止され、1954年あへん法が制定された。それ以降、栽培許可を受けるには畑の周囲に二重の金網を張り入口に施錠という、厳しい管理が義務付けられた。その結果、研究機関や薬科大学の薬草園などで栽培される程度に激減した。花が散ったあと肥大する未熟ケシ坊主に切創を入れ、そこから滲み出した乳液を集めたものを粗阿片といい、この方法が最も収率が良い。これを精製するとモルヒネなどが得られ、構造を変えることでヘロインが作られる。モルヒネは強力な鎮痛作用を有するため麻酔やがん疾患などの激痛に欠かせない薬物であるが、ヘロインは多幸感と耽溺性で心身の破滅を招く最悪の薬物である。一般には麻薬も覚せい剤も一括りで語られるが明確な違いがある。習慣性や耽溺性はいずれも変わらないが、麻薬は抑制的に、覚せい剤は刺激的に働く。構造的にも麻薬はアヘン系のアルカロイドで、覚せい剤は脳内アミンに類似している。

温心堂主人 寧日ありやなし 壺中數千の罌粟を育てて −塘 健−

上記の歌がしたためられた短歌同人誌を頂戴した。罌粟は漢方では使わないので、俄かに判読ができなかった。ケシだと告げられ、文意どうり、その時は罌粟を育てて病に対処せよという励ましの歌だと思ったが、よくよく考えると氏はもう少し深く語りかけているのだ。栽培禁止の罌粟を育てることはできない。長らくこれは戯れの歌と考えていたが、氏の短歌活動を知るにつれ、罌粟は薬効の代名詞であり、育てることは刻苦勉励に通じる事が解った。つまり罌粟を育てるがごとく、技量を磨けというのに他ならない。気付くのが遅すぎて、いまのところ罌粟は育っていない。まだ間に合うだろうか。

 

【塘 健】昭和26年、長野県生まれ。別府大学在学中より塚本邦雄に私淑。57年、第28回角川短歌賞得て後、本格的に師事、鉄槌を受ける。現在佐賀県杵島郡にて農業を営む。第一歌集「火冠」第二歌集「出藍」。師風を愛し畏れつつ、いつしか別途を驀進したい。(現代の短歌 高野公彦 編 講談社学術文庫より)

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罌粟は警察や薬務課などの啓発も進み、見かけることは少なくなったが、連休明けのある日、ドライブ中に赤い花が目に飛び込んできた。あまりにも鮮やかで大きな花だ。速度を緩めて観察すると間違いなく罌粟である。幸いカメラを持っていたので車を路肩に止め、撮影した。交通量の少ない農道だが、路肩の赤い花は強烈な存在感を放っていた。警察や薬務課に通報することはしなかったが、いずれ発見され撤去されるに違いない。ほとんど見られなくなった罌粟を意外なところで発見したことに不謹慎ではあるが感動さえ覚えた。これは戦前の遺物でもある。罌粟を栽培していた人の話では畑に居るだけで酔うような気がしたという。 

 

 

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