「紅蜘蛛の毒を消すには、カリアの葉を煎じたものが一番効きます。」
女は器に入った熱い煎じ薬をルカシュに飲ませながら、言った。
「ヘルガ、なにか甘い飲み物でもお持ちして。危ないところでしたわね、でももう大丈夫、まもなく熱が
ひき、今夜中には足の腫れもとれるでしょう。」
「助かりました。なんと礼を言っていいか。」
「このあたりにの茂みには紅蜘蛛がたくさんいます。うかつには入らないことですわ。」
「あなたは平気なのか?」
「私はここでの生活が長いので、もうすっかり慣れました。紅蜘蛛のいそうな所はにおいでわかります。」
侍女が飲み物を運んできて、カップをウロフとアシュランに手渡した。
「どうぞ、お飲みになって。毒は入っていませんことよ、私は毒蜘蛛ではありませんから。」
女は同じ飲み物を一口飲んでから、にっこりと笑った。
「ご主人にお目にかかりたい。ご主人にも礼を言わねば。」
「私がここのあるじです。フェイシアと申します。」
「ご夫君は?」
「だいぶ以前に亡くなりました。夫の生前はワランに屋敷をかまえ、使用人も大勢使っておりましたけど、
ある事情があって、ワランを引き払いこちらに参りまして、夫はそれからまもなく、他界いたしましたの。」
「では、ここには・・・?」
「私と娘、それから侍女のヘルガ。女だけの3人住まいです。」
「それは心細いでしょうな。」
「もう慣れました。娘の静養にはこんな静かな山奥が合っていますから。」
「娘さんはご病気か?」
「はい、生まれつき大変虚弱な子で、外に出ることもままなりません。そんなあの子に、ワランの
喧噪は毒でした。」
フェイシアはふっと視線を落としたあと、あらためてウロフたちを見回して言った。
「旅の途中とお見受けしますが、どちらまで?」
「とりあえずはワランまで。食料を補給する必要があるのでね。」
「もしお急ぎでなかったら、あの若いお方の具合が良くなるまで、ご滞在なさってもよろしいのよ。
熱と腫れはすぐ引きますが、毒はしばらく体内に残るといいますから。」
「ありがとう。では今夜だけごやっかいになりましょう。明日の朝おいとますることにして。」
「それでは、夕食の支度をさせましょう。」
その晩、ウロフたちは久しぶりにまともな食事にありつくことができた。
大振りの円卓に並べられた料理の数々。鳥の丸蒸し焼きや、めずらしい野菜のサラダ、
ハイムジカのシチューに香草のスープ、色とりどりの菓子。そして上等のローザン酒。
カリアの薬湯で熱と腫れと痛みのとれたルカシュは、いつものへらずぐちをたたくのも忘れて
それらをむさぼり食らっていた。アシュランはあいかわらず香草のスープを2,3口喉に
流しこんだ程度だった。
「変わったお顔ぶれですわね。」
食事のあいまに、みごとな細工をほどこしたグラスに満たされたバラ色の酒を口に
運びながら、フェイシアは言った。
「特にそちらのお方は・・・失礼ですけど殿方でしょうか?それとも?」
「申し訳ないが、あまり詳しくはお答えできない。後ろめたいことはなにひとつないが。
おい、ルカシュ、いいかげんにしろよ、3皿目だぞ。お前の胃袋は底が抜けてるのか?」
「ふふ・・・よろしくてよ。おかわりはたくさんあります。いつもヘルガと2人きりだから、
大勢とお食事するのは楽しいわ。」
「娘御がおられると聞いたが?」
「ミヌーシャは・・・・娘はいつもお部屋で食事をとりますの。でもワランにいたころは、娘も
まだいまより少しは元気で、主人と共に、それは楽しくおしゃべりしながら食事したものです。
本当に楽しかった・・・・・。」
フェイシアは物思わしげな視線を食卓の上に落とし、グラスを置いた。
「こんな辺境にいるより、ワランの医師にでも診せたらいいんじゃないのか?」
アシュランが言った。
「あの子の病は医師にも見放された不治の病。もうあきらめております。そんなことより、
どうぞたくさん召し上がってくださいね。ああ、本当にワランで暮らした頃が思い出されます。」
時折、少女のようにさえ見えるフェイシア夫人の横顔に、ウロフは再び、記憶の底に葬られて
いた、ある女の顔を重ねていた。
(そうだ・・・思い出した。あの女だ、あの女に似ている・・・いや似てなどいないのかも知れぬ、
しかしなぜ思い出されるんだ、あの女を。そうだ、目だ。夫人のあの湖水を思わせる瞳。
確かに、あの女もあんな蒼い瞳をしていた。)
その夜、ウロフは何ヶ月ぶりかで柔らかい寝台に体を埋めた。固い土間や野宿に慣れた
体に羽根の寝台は柔らかすぎた。しばらく寝付かれぬ時を過ごしていたが、睡魔は
しめった綿のように彼の体をしっとりと重く包み込んでいった。
彼は夢を見ていた。どこか城の奥の中庭で、咲き乱れる花の中、自分を見上げて
微笑む少女がたいた。
なんて勝ち気な、なんて激しい、しかし限りなく透き通った蒼い瞳の・・・・・
少女はささやく、『キリオン、あなたのお国の話を聞かせて。』
なんて愛しい・・・・・
どこからか甘い匂いがした。なんていい匂い・・・あれは遠い昔、塔の城で少女と
一緒に食べた甘い菓子。中庭で少女が摘み差し出した白い花・・・・・
陽射し、暖かいベッド、誰かの膝、少女の匂い、手、髪、それから・・・
しかし次の瞬間、彼を包み込む激しい憎悪と憤怒。
許さない・・・・お前を決して。決して!」
ふと目覚めると、見慣れぬ辺境の館の、天井に描かれた鳥や薄暗闇の中に浮かんで
見えた。嫌な夢を見た・・・・
ここしばらくは見なかったのに。
それにしても・・・・あの香り。目覚めた今も鼻先にまとわり付いている香りを
振り払うように寝返りをうつと、横に寝ていたはずのルカシュの姿がない。
「ルカシュ・・・・?」
随分前にベッドを抜け出して行った。」
「アシュラン、起きていたのか。」
「探さなくていいのか?」
「用足しにでも行ったんだろ。」
ウロフは再びベッドに身を沈めた。
「何かさっきから匂うんだが、私の気のせいか?」
「匂う?お前もか。」
そういえば、夢の残り香にしてはあまりにも鮮明すぎる。
「香でも焚いているのか。」
「ピセアダイでも、来客のあった晩に香を焚く習慣があったけど。」
アシュランはいぶかしげに部屋の扉に目を向けた。
「それから死者の弔いの時に・・・・・。」
「いいからもう寝ろよ、明日は出発だ。上等のベッドで休めるのも今日だけだぞ。」
ウロフは柔らかなベッドに体をもぐり込ませ、アシュランはしばらく扉を見つめていたが
大きくため息をつくと、おもむろに体を横たえた。
翌朝、ルカシュはいつのまに戻ったのか自分のベッドで寝息をたてていた。
「おきろ、ルカシュ。朝だ、仕度しろ。」
「・・・・・・るせぇな・・・もう少しねかしといてくれよ・・・」
ベッドにもぐりこむルカシュの毛布を乱暴に引き剥がし、ウロフはルカシュの額に手を当て
その後足に触れた。
「熱はない、足の腫れも引いている。よぉし、これなら充分出発できるな。ところで大将、
昨夜はどこへ行っていたんだ?」
「・・ああ・・・へへへへ。」
「なにがへへへだ、早く起きて仕度しろ、出発するぞ。」
「え?もう?」
「そうそう長居もしていられない。」
「だって俺、病み上がりだよ。」
「毒はもうすっかり抜けている。昨日の食欲を見ろ、病み上がりがシチューを5皿も食うか。」
「ね、ウロフ。あと三日、いや、二日、一日でいいからさ、泊まっていこう。夫人だってゆっくり
して行けって言ってたじゃないか。」
「いいから、さっさと起きろ。俺はフェイシア夫人に挨拶してくる。」
ルカシュはぶつくさ言いながらベッドをすべり降りた。

館の中庭にフェイシア夫人はいた。雫が朝日に反射してきらきらと輝く。夫人は丹精込めて
咲かせた大振りの花を両手いっぱいにつみ取っていた。
「あら、もうお発ち?ゆっくりしてらっしゃればいいのに。」
「そうもしていられない。今から立ちます。」
「そう・・・せっかくお知り合いになれましたのに、残念ですわ。せめて朝食をおとりになってから
お発ちになればよろしいのにね。ヘルガに食料を用意させますわ、お持ちになって。」
そして彼女はヘルガに3日分の保存食を用意するよういいつけた。
「みごとな花だ。」
「日々のなぐさめに、咲かせております。」
「昨夜の香といい、フェイシア夫人、あなたはなかなか風流な方だ。」
「香?お気づきになられましたか?」
「甘やかな、なにか懐かしい感じさえする匂いだった。」
「ワランで暮らした頃、さる調香師より調香を学びました。昨夜の香は私がいくつかの香りを
会わせて作ったものです。『ミヌーシャ』と申しますのよ。」
「ミヌーシャ、確か・・・」
「娘の名です。」
「娘御の病が一日も早く回復されるよう、祈っている。」
「あなた方の旅のご運も・・・。」
夫人は微笑んだ。その時。
「旅のお方!旅のお方!」
「どうかしたの?ヘルガ。」
「う、馬が・・・・・。旅のお方の馬がっ。」
「俺たちの馬が?」
「く、首を切られて・・・」
おびただしい血だまりの中、彼らの馬が何者かに首をかき切られこと切れていた。
「こいつはひどい・・・」
馬はピセアダイ攻略の報酬のひとつだった。
「ハイイロオオカミの仕業でしょうか。」
「いや、これは確かに鋭利な刃物でやられたものだ。」
「これはおそらく、森に居住するルカ族の仕業でしょう。私たちがここに住むのを快く思って
いないのです。」
「そりゃまた、なぜ?」
「私たちはなにか不吉な星を持ち合わせていると言うのです。何度いやがらせを受けたか
しれません。私の馬も全部ルカ族の手にかかり今は一頭も残っていません。」
「俺たちの足までも奪われちまったというわけか。くそっ・・・。」
ウロフは腹立ちまぎれに馬屋の柱をけ飛ばした。
「あのお若い方の足がすっかりよくなるまで、ここにいらしたらよろしいわ。足さえ完治すれば
歩いてだっていくらでもワランにまで行けます。」
「申し訳ない。」
血だまりに鼻先を突っ込んで絶命している二頭の馬のなきがらを見ながら、ウロフはなにか
ふに落ちぬものを感じていた。が、いいしれぬやすらぎをも覚えていた。
柔らかな寝台、食事、そしてフェイシア夫人の微笑み。
もうしばらくいてもいい・・・・と、ウロフ・ルツは思い始めていた。