妖花の館
第一章

風が止んだ。時間が、その永劫に続く流れを一瞬よどませでもしたかとまごうほど、
あたりは静まり返った。
ピセアダイの首都ジュワスを一望できる丘に立ち、男はほとんど廃墟と化した都を
見下ろしていた。
古い歴史と独自の文化を持つ小国ピセアダイ。
創世から何千年もの間、外部の手を拒み、他国とはほとんど交流も持たず、
豊かな自然と伝説の中に埋もれて暮らしてきた人々。
が、しかし、大国ルナトリアの突然の侵略によって、たった三日で陥落した。
ピセアダイ国王ハラルドは、その首級を重臣たち共々、自らの王宮前にさらし、
年若き王妃フェーヌと生後まもない後継者たる王子アレックスはもろとも殺害され、
王家の血を引く者たち、あまたいた寵姫たちも、ことごとく生命を奪われた。
ルナトリア兵は、都に火を放ち略奪をほしいままにした。
ピセアダイの民は、あがらうすべもなく、無力のまま蹂躙されていった。
純血の民の住まうピセアダイが、以後、ルナトリアの植民地として、流れ者の
徘徊する猥雑な土地と化すのはあきらかであった。

男は丘の上で、片膝を立てて座り、吸い寄せられるように燃え落ちていく都を見ていた。
「俺は今まで、いくつもの戦を戦ってきたが、今回みたいに後味の悪い思いをしたのは
初めてだ・・・・」
男はつぶやいた。
男の側には、男よりいくぶん若い者がついさっきルナトリアの傭兵隊長から頂戴してきた
金の勘定に余念がなかった。
「今度なんざぁ、ちょろいもんだったぜ、ピセアダイの奴らは剣ひとつ満足にあつかえねー
なまちょろだし、兵士でさえいざとなると剣を捨てて神に祈るだけだ。」
「ピセアダイの民が必死に抵抗していたら、俺もこんなに寝覚めの悪い思いはしないさ。」
「ま、いーんじゃないの?とにかくお互い無事仕事を終えて、こうしてたんまり報酬を頂戴
できたんだ。まったくあんたの剣さばきはたいしたもんだぜ。ルナトリアの正規軍も
まっつぁおの働きだったじゃねーか。さてと、早いとこずらかろうぜ、俺はどうも
この土地は好かねぇ。」
若い方の男は立ち上がり、まだぐすぐすと煙の立ち上る都をいやらしげにねめつけた。
「ああ。」
年かさの男も続いて立ち上がり、それでも少し未練がましく都に目を向けた後、ひらりと
馬にまたがった。

再び風が動き始める。
夕暮れの風は彼の伸びた黒髪に吹き付ける。その体躯は草原に住むハイイロオオカミの
ように強靱でたくましく、かつ、しなやかだった。濃い茶の胴着に旅人用の短いフード付きの
マントをまとった彼は、あきらかに各地を放浪する風来坊のようだったが、マントの中に
隠し持った剣と、その手綱さばきのあざやかさは、彼がたたの礼金稼ぎの傭兵ではなく、
かつて正規の教育を受けた戦士であったことを物語っていた。
とにかく彼はどこかいわくありげで、長年の風来坊生活でつちかわれたらしい浅黒い顔からは、
年齢すらつかめない。
彼の名はウロフ・ルツと言ったが、それすら彼の持って生まれた本当の名かどうか、
疑わしかった。
特に印象深い、鋭く射抜くような目と、多少皮肉の混じる口元から、意外なことに
心なしか気品すら見出すことが出来る。

一方、年若い男の名はルカシュといった。
彼は細身で赤毛の、17、8の少年だった。しかし実年齢よりもはるかに彼はぬけめなく
好色でどん欲だった。彼が今回の戦で、他の傭兵たちと共にかたっぱしから略奪と陵辱を
繰り返し報酬以外のものを手にしていることを、ウロフは知っていた。
「今夜は上等のローザン酒で乾杯といこうぜ。」
「ばかいえ、ルカシュ。国境を越えてしまわなけりゃ酒になんぞありつけるか。
あと三日はがまんするんだな。」
「三日だとぉ?」
ルカシュは不器用な手つきで馬をあやつりながら、情けない声をあげた。
「ってことは、あと三晩は野宿ってこった・・・。」
「ま、そうだな。」
「くそっ、金はしこたまあるのによ、ああ、子鹿の焼き肉が食いてぇ、ふっかりした
羽根のふとんに、極上のローザン酒・・・・」
「言うな、こっちまで腹の虫がうずく。よし、あそこの森で火を焚こう。もうすぐ日没だ。」
「あいよ。」
2人は前方に見える森の方へ、馬を急がせた。