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長老の天幕で一夜を過ごしたアストライドの女戦士フレイヤ・フレーセンとジュヌバの少年シュクは
集落をくまなく馬で歩き回った。
「知っていたとしても言わないと思う。」
シュクは言った。
「ジュヌバはそういうことに関して口が堅いからね。」
「それじゃあなたも、実は知ってるのに知らぬふりをしてあたしに同行してるかもしれないってわけね?
シュク。」
「俺は本当に知らないよ。でもね、今まで尋ねた人の何人かは知っていても知らないふりをした
はずだよ。もしここにあなたが捜す者がいたらね。」
「ではこの次に尋ねる時は、これを使おうかしら。」
フレイヤは腰の剣を示した。
「ふふ・・・冗談よ。」
彼女は馬の脇腹に軽く足を当てて、歩を早めた。
「ねぇ、あなたはどうして戦士になったの?」
二日間行動を共にしていたシュクは、フレイヤにだいぶうち解けて話しかけるようになっていた。
「じゃじゃ馬だったのよ、手のつけられないほどにね。」
フレイヤは笑った。
「みんな私のことを『鬼火』って呼んだわ。」
「鬼火?」
「そう、鬼火。」
気が強くて、どんな男にも負けない。
あの頃・・・・・・アストライドとハーランドはまだ友好関係を結んでいた。
共に西の大国として、牽制しあいながらも交流はあった。
フレイヤの父はアストライド軍を率いる将軍の地位にあり、フレイヤはフレーセン家の一人娘に生まれた。
後継者としての男子に恵まれなかった将軍は、手すさびに娘のフレイヤに幼いときから剣を教えた。
フレイヤの腕はみるみる上達し、10才の頃には同じ年頃の男子もかなわぬほどの腕前に
なっていた。
フレイヤが13才になった時、ハーランドから父の元に来客があった。
その日フレイヤは母の命でいつになく着飾らされた。
あの日の着慣れないドレスの色も、フレイヤははっきりと覚えている。
母親から、居間に飾る花を摘んでくるように命じられたフレイヤは、庭に降り、慣れぬ手つきで
花を手折っていた。すると突然、背後から声がした。
「やぁ、君がフレーセンのじゃじゃ馬姫か。」
驚いて振り向くと、そこには黒い髪の自分よりいくつか年上の少年が笑いながら立っていた。
「だれ?」
フレイヤはかなり不機嫌にそう言い放った。
「ごめんよ、いきなりじゃじゃ馬は失礼だったな。僕はキリオン・コンラート」
初めて聞く名前だった。
「ハーランドからいらした方?」
「そう、なんでも君は僕の許婚者らしい。」
「なんですって!?」
フレイヤがコンラートに出会った、それが最初だった。
すべて父の策略だった。
父はハーランドの名家であるコンラート家の三男キリオンを娘婿に迎えようとしていたのだ。
キリオンはコンラート家の三兄弟の中で一番文武に秀で、賢いとの噂だった。
初めは面くらい、憤ったフレイヤだったが、明るく陽気で、しかも滅法剣の腕も立つ
キリオンに、しだいに心惹かれて行った。
「みんな私のことをなんて呼んでるか、ご存じ?キリオン。」
「なんて?」
「フレーセンの鬼火。」
「ははは、鬼火か、似合ってる。」
「気が強くて、気性が荒くて、手に負えないって。」
「そうだね、フレイヤ、君は忽然と姿をあらわし、人心を翻弄して消える鬼火そのものだ。」
「それは侮辱しているの?」
「まさか、誉めているつもりだ。君は誰よりも強く、誰よりも美しい。君を守れる者は他に誰もいない。
だって君自身が自分を守れるくらいの力を持っているんだから。」
「それは喜んでいいのかしら、悲しんでいいのかしら。」
「喜んでいいのさ。でもね、君に何かあったら僕が守ってあげる。これだけは忘れないで。」
「あなたが?わたしを?」
「そうだ、いつでも僕が守ってあげる。」
フレイヤは生まれて初めて、身体の芯が熱くなるのを感じた。
父でさえ、、「フレイヤ、お前にかなう者など誰もいない。この父でさえも」と言ってはばからなかったのに。
いままでそんな言葉をかけてくれた人は誰一人いなかった。鬼火のフレイヤ・・・・・・・
キリオン・コンラートがハーランドに帰るまでの約ひと月の間、フレイヤは生まれて初めて
人を愛し、愛される悦びを感じていた。
そのままいけば、15才になればフレイヤはすべての人々に祝福されて、幸せな花嫁に
なるはずだった。
キリオンの花嫁になるために、剣はもう持つまい、そう決心した矢先。
突然の宣戦布告だった。ハーランドがアストライドの敵対国オトラントと手を組んだのだ。すべての
友好関係は反古になり、事態は次第に悪化していく。
何度か持たれた調停もそのたびに決裂。あちこちで小競り合いが繰り返された。
当然の如く、キリオンとフレイヤの縁談も破談となり、フレイヤはもう二度と、キリオンと
相まみえる機会を失ってしまった。
(もう二度と会えないと思っていた・・・・・・・)
遙か彼方に連なるライカ山脈の黒い影を見ながら、フレイヤは大きく息を吸い込んだ。
もう二度と会えない方が、フレイヤには幸せだったのかもしれない。
あんな形で再会するくらいなら、いっそ。
(もう二度と会えなかった方が・・・・・・・)
フレイヤは呪文のように何度もつぶやいた。
あの流血の戦地で、敵のまっただなかにコンラートの姿を見た。
漆黒の馬を駆り、次々とフレイヤの配下の者たちをなぎ倒していくハーランドの若き
将軍、あれはまぎれもなく・・・・・・。
そしてついに、お互いの顔が間近で確認できるほどの距離にせまり、
敵の武将が己のかつての許婚者だとわかっても、彼は眉一つ動かすことは
なかった。
そして、フレイヤ自身も。
フレイヤは持っていた剣をさらに強く握り返し、そして相手を射抜く様に鋭い視線で
見返した。
そして、馬を駆って敵地に突き進もうとして瞬間、後ろから強く引き戻された。
フレイヤの育ての親ともいえる守り役ジークだった。
「姫、退かれよ。」
「ジーク、離せ。」
「もはや我が軍のの形勢は不利。このまま全滅させるおつもりかっ」
「退かぬ!私の命に賭けて、あやつの手にかかり命を失った配下の者たちの
無念を晴らすのだ。離せと言うにっ」
「退かれよ!!姫!これ以上無駄な死者を出してはなりませぬ。姫、
いったんアストライドにお戻りください!」
「・・・・・・ジーク・・・・・・」
あの時退いていなかったら・・・・・・・・・・・・・・・・
(私は名も知れぬ大地に屍をさらしていただろう。)
フレイヤは思った。
その後、中規模の戦闘の後、アストライドとハーランドは国交を断絶したまま
戦闘状態は一応の終結を迎えたが、一触即発のまま、今に至る。
フレイヤは父将軍の許しも受けぬまま、故国をひとり離れ、旅に出た。
ハーランドのコンラート将軍が出奔したとの噂を耳にしたからだ。
(キリオン・コンラート、お前は私が仕留める)
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