
「え?父さん、それどういう事?」
「いいから、早く族長のところに行け。」
シュクの父、ラク・タジミアはいつものように朝、牧場に出かけようとしたシュクに言った。
「仕事は?」
「しばらくしなくてもいい。」
「なぜ?」
「族長のところに来た客人がなにやらお前の力を借りたいんだそうだ。行ってやれ。」
(・・・・・・・あの人が?)
父から愛馬レプルの手綱を受け取ると、シュクはその足で族長の天幕へと急いだ。
(あの人が俺の力を借りたいって?)
妙に誇らしいような、くすぐったいような気分にとらわれ、自然と微笑んでしまう自分の顔を
無理に引き締め、不自然にしかつめらしい表情で、シュクは歩いていった。
フレイヤとシュクの2人は、森の裏側にあるコナの集落に向かっていた。
「ヤイカの森を境にして」
と、シュクは今自分たちが抜けてきた中規模の森を指して言った。
「ジュヌバは西の集落と東の集落に分かれている。よその部族から攻められたとき
片方が落ちても片方が逃げ延びることができるように。」
「ジュヌバは戦いが嫌いな民だと聞いたけど。」
「そうさ、だから決して他の部族と争ったりしない。でも争い事が好きな連中はいっぱいいるからね、
盗賊とか脱走兵とか。」
「攻められたら守るってわけね?」
「ジュヌバは誇り高い民だ、神からこの世で一番最初に『火』を使うことを許された『火の番人』だ。
決して他の手で滅ぼされたりはしない。」
フレイヤは馬上から身をかがめて、丈の高い草を一本引き抜いた。
「シュクは草原が好き?」
「・・・・・わからない、生まれたときからここにいるし、ここしか知らないから。でもきっと
好きなんだと思う。」
「ならなぜアストライドへ行って戦士になりたいなんて思うの?」
「このままここで牛や馬を追って一生暮らすのは嫌だからさ。」
「ジュヌバは戦いが嫌いなんでしょ?」
「そりゃぁ・・・・でも俺の兄は戦士になった。幼なじみのアグネも去年アストライドに行った。
友達のティニタの兄貴も。 戦士になってアストライド王から聖剣を受けるんだ。」
するとフレイヤは少しあきれたように笑った。
「伝説の騎馬戦士アトリのように。アトリもジュヌバのような遊牧民の出身だったんだろ?」
「そういう言い伝えがあるわね。ではあなたはアストライド王家に自らの剣を捧げるわけね?」
「そうだよ。」
「アストライドの為に戦うのね?」
「そう。あなたも戦ったんだろ?ねぇ、戦場の話を聞かせてよ、あなたが黒馬に乗って
戦場を駆け回るのはさぞかし・・・・。」
さぞかし美しいことだったろう 戦いの女神レイラのように と言おうとして、シュクは
口をつぐんだ。照れくささもあった、が、なによりフレイヤがいつのまにかいつもの柔らかな
微笑みを消し、氷像のような冷たい顔でシュクを見据えていたからだ。
コンラートを殺しに来たのよ ゆうべたき火の側でそう言った時のようなあの顔で。
「さぞかし・・・・なんなのですって?」
「さぞかし・・・・きれいだろうなって・・・怒らないで、悪気はないんだ。」
途切れ途切れにそう言って、シュクがうつむくと、フレイヤは突くような視線をいくぶん
ゆるめた。
「戦さほど醜いものなんかこの世にありはしない。悪鬼も餓鬼も戦に比べたらまだしも
美しいわ。あたしだってシュクのように戦士にあこがれ、聖剣を夢見たこともあった。
ハーランド戦役まではね。」
「ハーランド?それじゃあなたは5年前のあの戦いに参戦していたんだね?」
「もう5年も前のことなのに、あたしは今でもどうしようもない恐怖に襲われる。
この平和な時が実はつかのまの夢にしか過ぎなくて、目覚めればまたあの
血の臭いのする平原に、べっとりと血糊の着いた剣を下げてたたずんでいるんじゃ
ないかって。あの戦いに比べたら、それまで私が経験してきた戦など子供のけんか。」
その時、気丈な女戦士の肩がほんのわずかぶるっと震えた。
「ハーランド軍は、アストライドに比べたら規模は小さかった。でも彼らは手強かったわ、
何度も何度も波のように攻めてきては、またたくまに引き上げていく。部下たちは
次々と血だまりの中に倒れ、身体は水を吸った綿のように重く、あたしは身も心も
疲れ果てていたわ。その時ハーランド軍を率いていたのがあの男だった。
キリオン・コンラート将軍。忘れないわ、彼はハーランドの勇者の印である
銀の輪(セルクル)を額にいただき、敏捷な戦馬にまたがって、あたしたちを翻弄した。
あたしの部下たちは草のようにいともたやすくなぎ倒されて行った。
彼はまさに、戦神レプルだった・・・・・・・」
フレイヤは大きく息を吸い込み、そしてしっかりと目をつむったままゆっくりと吐き出した。
「結局あたしは、生まれて初めて敗北を知った。これ以上無駄な血を流すことは
耐えられなかったから、あたしは平原を退いたわ。シュク、あなたは神の慈悲を乞い
助けを求める者の首に刃をたてられて?いまのいままで、共に戦っていた友の屍を
踏んで前進できて?故郷からはるかに離れた、どことも知れぬ大地の土塊になる覚悟ができて?
王に聖剣を授けられた戦士であろうが、駄馬と安物の剣が全財産の下級戦士であろうが、
それは戦士と名のつく者すべてが等しく経験しなくてはならない事なのよ。あなたにそれができて?」
陽光が、フレイヤの金白色の髪に降り注ぐ。
(この人はこんなにも美しいのに・・・・・)
シュクは思った。
いったいどんな奈落を見てきたのか。
時だけがゆっくりと流れる草原に生まれ育ったシュクにははかりしれなかった。