其の参



その一軒家は、道を少し草むらに分け入った場所にこじんまりと建っていた。

周囲には野荊のつるが、家を包み込むようにはびこっている。青いみずみずしい棘と、

その間に今を盛りと咲く純白の花が、まるであたりを飛びまごう蝶々の群れのようにさえ見える。

「もうし・・・・旅のものでございます。どなたかおられぬか?もーーし」

葦若の呼びかけに、ほどなくして戸の口が開き、中からひとりの女が姿を現した。

「おお・・・・怪しいものではございませぬ、病人が出まして往生しております、もしさしつかえなければ

ひと晩の宿をお貸し願えぬものかと。」

「まぁ・・・・そちらのお方?濡れておられますね。あら、そちらのお方も。」

「はい、うっかり足をすべらせて川に。おぼれたところをこの方に救っていただいて・・・でもそのままその場で

気を失われて。どうかこのお方の命をお助けくださいませ。ひどい熱なのです。」

露草が女にすがりつくようにして懇願した。

「それは難儀な・・・・さあさ 中にお入りになって。はよう、はよう。」

女は葦若たちを中に招き入れると、手際よい動作で奥の部屋から病人を寝かせるための布団を敷き

それから着替えのための着物を出してきた。

「そのままではお風邪をひきます。さぁこれに着替えて。」

「ありがとうございます」

露草はそっと部屋の隅に身を寄せて、女の持参した着物に着替えた。

女は葦若が背からおろした病人を布団の上に横たえ、濡れた着物を着替えさせようとした時。

「このお方は・・・・・・」

と、つぶやいた。

「どうなされた?」

「男のなりをなさっておられますが、女人でございますね。」

「な、なに!?」

「どうぞしばしの間 向こうをお向きになってくださいませ、着替えをさせますので。」

「お・・・おお、承知いたしました。」

葦若はあわてて後ろを向いた。

「ほんに助かりました。こんな格好で申し訳ありませぬが、わたしは東国で生糸などを商っております

葦若と申します。それからこの者はわたくしの妻で露草と申します。」

部屋の隅で着替えをすませた露草が、一礼した後 病人を着替えさせる女に手伝いはじめた。

葦若の声が聞こえているのかいないのか、女はなにも答えずもくもくと病人の濡れた着物を脱がせ

おそらく自分のものと思われる女物の小袖を着せかけた。

「ああ・・・・やっぱりひどいお熱・・・・」

露草がつぶやく。

「急いで薬草を煎じましょう。それからお前さまたちもお疲れでしょう。遠慮なさらずにゆっくりおくつろぎなされ。

もうしばらくしたら、夕餉の用意もしましょうほどに。」

「なにからなにまで、ほんにかたじけない。」

布団に着替えの終わった病人を横たえた後、女はあらためて葦若夫婦の前で居ずまいを正した。

女はこんな鄙びた地に住まいする者とは思えぬほど美しかった。

都の遊女にもひけをとらぬほど、目鼻立ちの整った それでもどことなく憂鬱そうな目をしている。

「わたしは 月小夜(つきさよ)と申します。見てのとおり女のひとり住まい。

なにほどのもてなしもできませぬが、お体の疲れの癒えるまで、ごゆるりとご逗留なされませ。」

そう言い置くと、そそくさと奥の部屋に行き薬草を煎じはじめた。


混沌とした意識の中で、千手は夢を見ていた。

小暗い森の中にたたずむ麝香鹿(じゃこうじか)。そしてそこに寄り添うようにたたずむ男。

それは千手が忘れようにも忘れることのできない、平重衡その人だった。

(千手)

重衡の低く呼ぶ声がする。

「重衡か・・・・・冥府をさまようてこの世にふたたび舞い戻ったか・・・・・」

千手の言葉に、重衡はうっすらと笑った。

(そなたの腹の子を。)

「お前には関係ない。」

(いや、それはわしの子じゃ)

「お前はもう死んだのだ、お前にはかかわりない。」

(あいかわらずの気丈夫だな・・・千手)

すると重衡は地をすべるように千手の前に近寄り、腹のあたりに手を触れた。

(わしの子じゃ、頼んだぞ。)

「嫌だ!わたしはおなごを捨てたのだ。」

(なら、なにゆえあの晩わしに抱かれたのだ。)

「お前に惚れたからだ。」

千手は吐き出すようにそう答えた。

「あの一瞬だけ、わたしは女に戻った。あの一瞬だけだ。死にゆくお前のひと夜のよすがに

なってやろうと思った。」

(それならこのままわしの子を産んでくれ)

「嫌だ・・・・子をなしてしまったら、わたしはおなごのままでいねばならん。」

(わしに惚れたというたではないか)

「誰の子も生まぬ!」

次の瞬間、重衡の体がふうわりと千手に覆いかぶさり、千手の体を包み込んだ。


あたたかい・・・・・

この世の者ではないはずの重衡。なのになぜこんなに温かいのか。

水に浸かって冷え切ったはずの千手の体ばかりか、子宮の奥底までもあたたまる。


(わしの子を・・・・・産んでくれ、千手・・・・・・・)

耳の底で、重衡の悲しげな声が何度も響く。声は水面に広がる波紋となって、幾重にも

あたりをただよっては消えた。

「お気がつかれましたか?」

気が付くと、心配げにのぞき込む見知らぬ女の顔があった。

「誰だ・・・・・・・」

「月小夜と申します。あなたは川のほとりで気を失ったところを、あちらの方々に背負われて

我が家までいらしたのですよ。」

まだ少し朦朧とする意識の中で、千手はさっき自分が川からひきあげた若い女と、

連れの若者を見た。

「ああよかった!気が付いたのね。」

露草が喜々として叫ぶ。

葦若は、手短に自分たちの氏素性と、どういった経緯で千手をここまで運んできたかを説明した。

あたたかい  と思ったのは、月小夜がかけてくれた綿の入った寝着のせいだった。

いろりの赤々と燃えた火が、部屋の中をぬくめている。

「さ、薬湯を飲みなされ。」

月小夜が千手の半身をそっと起こす。

「これはお腹のややこには障りのない薬草を煎じたものゆえ、安心なされよ。」

「え!このお方は身ごもっておられるのか!」

葦若が思わず声をあげた。

「なんてことを・・・・ややこがおいでなのに、水に入ってこのわたくしを・・・・」

苦い薬湯をひと口飲んだあと、千手はつぶやいた。

「なぜわかった。気を失っている間に、わたしの体に触れたのか?」

「ほほほ わたしにはわかるのですよ。昔 産婆の手伝いをしておりました。」

「ほんに、ほんに大丈夫なのですか?このお方のお体。」

露草がひどく心配げに月小夜に聞いた。

「運の強いお方・・・・腹のお子は大丈夫ですよ。」

「ああ・・・・・よかった。もしもこのお方にまんがいちのことがありましたら、わたしはどうしていいのか・・・。」

「どうか露草の命を救ってくださったお方のお名前をお聞かせください。」

「救ったのではない、たまたまだ。」

千手は目をつぶったまま言った。

「名は千手丸と言う。」

「千手丸殿、あらためて礼いいます。たまたまでもなんでも、あの時あそこで露草を川から

引き上げてくださらなくば、今頃露草は川のもくずとなっていました。」

そして葦若は、妻の肩を愛おしげに抱き寄せ、露草もまた葦若の体にその身を寄せてほほえむのだった。

「さあさあ、千手さまは気がついたばかり。そんなに話しかけてはお疲れでしょう。あなたがたも

向こうの部屋に床をとってございます。少しお休みになされませ。」

月小夜にうながされて、ふたりは支え合うように奥の部屋へと姿を消した。



「産婆のこころえがあると言ったな。」

床に身を横たえたまま千手が言った。

「はい、少しだけ。」

「いま、月はどれくらいかわかるか。」

すると月小夜はさっと袖をまくり、「失礼いたしまする」と低く言いおいた後、千手の体の奥にみずからの手をしのばせた。

かすかな痛みと共に、月小夜の冷たい指が、なにか別の生き物のように千手の体内をうごめく。

その間、千手は月小夜の顔を凝視していた。

こんなに美しいのに、無表情なその顔は限りなく寂しげに見える。

「四月といったところでしょうか。」

「流すことはできるか?」

「なにをおっしゃる。」

「流せるのかと聞いておる。」

「無理でございますね。四月と言っても、そろそろ五月にかかる頃。もうややは育っておりまする。」

「そうか・・・・」

「お産みなされ。好きな男のやや子ならば、産んでお育てなされ。」

月小夜はその時はじめて、うっすらと笑った。

美しく、優しげな笑顔だった。

「子をなしたいと 思うたことがございます。その男の子なら、命をかけても産んでみたいと、思うたことが。」

「産まなかったのか?」

「思うだけで・・・・かなわぬうちに、そのかたは遠くへ行ってしもうた。」

月小夜は深くため息をついた。

「産みなされ。授かった命 それはきっとお前さまを深い闇から救うてくれまする。」


わたしを・・・・・深い闇から?

数奇な運命の糸にからめとられて、産まれてから一度もあたたかい安住の床で眠りについたことがない。

我がことながら、出自もさだかでない。物心ついた時には白拍子の館にいた。

義父が母亡き後、持てあまして白拍子に売ったのだ。

幼少の頃から、享楽の中に身を置き、たくさんの哀れな女たちを見てきた。

12の時、朋輩の白拍子が女主(あるじ)にせっかんを受け、死にそうになっているのを見るに見かねて

気が付くと主(あるじ)を刺し殺していた。

そのまま出奔し、放浪し続け、生き延びるために通りすがりの旅人をたぶらかし、殺し、金品を奪った。

その後、木暮山の盗賊紗那王(しゃなおう)に囚われ、妾としての日々を過ごした。

2年前紗那王が病でみまかってからは、髪を切り 女であることを捨てた。

女であるがゆえに堕ちた深い深い闇の中から、抜け出したい一心だった。

なにも信じぬ なにも頼らぬ 心もいらぬ

なのに なにを血迷ったのか 平家の囚われ武者重衡(しげひら)に惚れた。

死にゆくまぎわの重衡の、一晩だけのよすがになってやろうと思った。

千手が堕ちた深淵の闇。

腹に宿った子が、救ってくれるというのか・・・・・・

しかしその答えも見いだせぬうちに、千手はまた深い眠りの底に落ちていくのだった。