人形館

平日の午後の人形館は、閑散としていた。
開館当時、休日はもちろんのこと、平日も親子連れや恋人たちで賑わった人形館も、
うつろいやすい人の心をひきとめることはできなかった。
ピークには1日1万人を上回った客も、今では休日ですら1日100人にも満たない。

カイトは、入り口で入場料を支払った後、薄暗いフロアまで進んだ。
フロアの中央には人間の大人くらいの大きさののペンギンが立っていて、
カイトが近寄るなり、ぎこちなく腰をかがめ、「ようこそ、人形館へ」と言った。
その機械的な声は、カイト以外誰もいないフロアの、不気味に沈黙した空気の中に
吸い込まれて消えた。
「バカだよな・・・」
カイトはペンギンのくちばしをちょいと小突いた。
「なんだってこんなとこに来ちまったんだ・・ガキじゃあるまいし。連れもなしに
来るところじゃないぜ。しかも仕事をさぼって。」
 館内の薄暗さにもようやく慣れ、棒付きキャンデーの匂いのする通路をゆっくりと
奥へと歩き始めた。
館内をゆったりと流れるBGMは、なにか遠い昔を思い出させる懐かしい旋律だった。
カイトはメロディーに歩調を合わせるように、ゆっくりと通路の両側に赤や青の
イルミネーションで照らし出されたさまざまな人形をながめた。
そこのエリアは、歴史的に価値のある人形が、厳重に守られて飾ってあった。
ある王家の墓から出てきたという、王の亡骸と共に埋葬されていた人形。
伝説的な人形師の最後の作品とされる、人形。
18世紀にある国の高貴な姫君が愛玩したという、抱き人形。
それはたしか歴史の教科書かなにかで見たことがあった。
裾の広がった金糸銀糸の豪奢なドレスをまとい、身につけたアクセサリーは
全部本物だという。
人形の青い瞳は、宇宙飛行士のゴドー・カワイを思い出させた。

「やあ、久しぶりだな、カイト。」
宇宙飛行士の試験にストレートでパスしたあと、3度目の飛行から戻ったゴドーは、
カイトを見つけるなり、浅黒い顔に人なつこそうな笑みをたたえ、近づいてきた。
「よぉ、ゴドー、無事帰還、おめでとう。」
カイトは、差し出されたゴドーの手を握りしめて言った。
「今度の調査はどうだった?」
「ああ、あそこは磁気嵐がかなり強いが、ま、なんとか開拓できそうだね。」
「そうか。」
「ところで、そっちのほうはどうなんだ?俺が調査飛行している間に、技師の資格を
とったって聞いたけど、ほんとか?」
「本当さ。」
「そりゃおめでとう。お前には早く立ち直って欲しかったんだ。よかった、ほんとによかったよ。」
そう言いながら、ゴドーはいったん離したカイトの右手を、再び両手で強く握った。
「ありがとう。これで俺もとうとう技術屋になっちまった。」

カイトは2年前まで第一線の宇宙飛行士として調査船「アイオロスα」に乗っていた。
開拓に適しているかどうかの地質調査のため、水星圏内に入ろうとした際、
小星団のひとつに接触した。
調査船は大きく破損、緊急脱出した。
救助艇のベッドの上で意識を取り戻した時、カイトの右足はまったく動かなくなっていた。
破損した船体の一部に挟まれ、切断はまぬがれたものの骨が砕け、治っても
飛行士に復帰することはできないと宣告された。
カイトは地上勤務になった。

誰もいない人形館の回廊に、不規則に響く自分の靴音を聞きながら、
ゴドーの生き生きと輝く青い瞳を思い出していた。あれは確かに、飛行士の目だ。
宇宙(おおぞら)の魅力に取り付かれた人間独特の、誇らしげな目。
・・・・・・・・・・・俺もあんな目をしていた・・・・・・・・・・・・・

水星の事故から一年たって、技師の資格をとった。
宇宙(そら)を飛べない飛行士は、妻子を養うために、転業しなくてはならなかった。
技術屋としての再出発の日。妻のユマは言った。
「こんなこと言ったらしかられるかも知れないけど、あたし、あなたが地上に降りてくれて
ほっとしてるの。」
再出発を祝うブランデーで、ほんのりと染まった頬を、ユマはふわりと押さえた。
「あなたが宇宙に行っている間、あなたを待ちながらあたし、エリスといつも
びくびくしながら暮らしていたの。」
「びくびく?」
「そう、あなたにはわからないでしょ?男の人ってそうよね、宇宙に出たら地上の
事なんか忘れちゃうんでしょ?あたしやエリスのことなんか忘れちゃうんでしょ?
でもあたしは、いっときだって、あなたのことを考えない時はないのよ。」
「俺だって、いつも君とエリスのことを考えてるよ。」
「いいのよ、正直に言って。あたしは別にかまわないの。側にいてくれる時だけ
あたしたちのこと考えてくれたら、それでいい。」
ユマは、手にしたグラスをゆっくりと動かし、琥珀の液体を見つめていた。
「事故の知らせを聞いたとき、心臓が止まる思いだった。でも、助かったと知って
神に感謝したわ。そしてあなたが飛行士を続けられないってわかったら・・・・」
「安心したの?」
ユマはこくとうなずいた。
「もう・・・あんな思いは絶対、いや・・・」

やさしい妻と可愛い娘。それを心の支えに、地上で生きていこうと思った。
そしてそんな平穏な生活に満ち足りた時もあった。しかし・・・
(俺は宇宙(そら)を知ってしまった。)
漆黒の闇の中に浮かぶ地球。
「アイオロスα」から見たミルキーウェイ。
宇宙の宝石、プレアデス。
触れることのかなわぬ未知の美しさを、カイトは知ってしまったのだ。