
朝は読経するのを常とする重衡の、低い声が響いていた。
いつとも知れぬ死の宣告を心穏やかに迎えるために
重衡は毎日仏に祈った。
死ぬときは武士らしく立派に、そしてあの世では心安く
過ごすことが重衡の唯一の望みだった。
ふいに、重衡の読経が途絶えた。
「平家の貴公子にみやげを持ってきたぞ。」
それは思いの外傷の回復が遅く、いまだに館の離れで
静養しているはずの千手丸であった。
そう言うなり、千手丸は重衡の目の前に大きな山鳥を
無造作に放り投げた。
「館の矢置き小屋から、弓と矢を失敬した。傷を負っていても
これくらいは朝飯前だ。」
「千手丸、無用な殺生はいらぬとあれほど言うたに。」
「おっと、待て。私をどなる前にそいつを焼いて食うてみぃ。
そしたら殺生がどうのと言えなくなる。」
すると重衡は再び仏に向かって経を唱え始めた。
「止めろ、誰のための読経じゃ、山鳥のためか?」
「山鳥と、そなたのために。」
「私にか?はっ、ばかなっ。」
床の上の山鳥の死骸を掴みあげ、重衡の鼻先に
突きつけた。
「こいつは私が食う。この次は上等の麝香を仕留めてきて
やるぞ。」
次の瞬間、振り向いた重衡の顔・・・・・・
(こんな顔で戦ったのか・・・・)
限りなく激しく、底知れず冷たい、憎しみと悲哀に満ちた目。
千手丸は山鳥をぎりぎりとしめあげた後に、思い切り
床にたたきつけた。
「千手丸、そなたなにゆえ今にも斬首を申し渡される私に
かようにも食ってかかる。」
「坊主みたいな口をきくからだ。」
「私は出家を願うてかなわなかった。しかし心はもはや
俗世を離れておる。ただ死を待つだけだ。」
「ふ・・・・悟ったような口を、それが囚われ武者の習いか?
斬首はおそろしうはないのか?」
「おそろしうはない、むしろ待ち望んでいる。これ以上
生き恥をさらしたくない。」
「見え透いたことを言うな、死がおそろしうないはずはない。」
「そなたと私は違う。」
「なにが違う!」
千手丸はやにわに重衡の着物に手をかけた。
絹を裂く鋭い音と共に重衡の武者にしては白い背中が
露わになった。
「羽根でも生えているのかと思ったら。」
千手丸は嘲った。
その時、千手丸はいつしかひどく嗜虐的になっている自分に
気づいた。この悟りきった貴公子を、自分と同じ泥底に
ひきずりおろしたい。
ななつで売られ、白拍子として過ごした5年間。
宿の女主を殺し、出奔した後の放浪の日々。
生き延びるために、いったい何人を手にかけただろう。
老若男女、情け容赦なく手にかけ、その血で自らの手を
染める。そんな日々は確かに泥底だった。
目の前の貴公子を、同じ泥で汚してしまいたい。
それは助けを乞う若い旅の娘をなぶり殺した時の気持ちと
似ていたと同時に、6才のなにもわからぬ自分を空き寺に
連れ込み、ひどく淫らな行為で辱めた義理の父親もまた
そんな気持ちにかられていたのだろうかと考えた。
「好いた女子はいたのか?」
千手丸は重衡の背中に投げかけた。
「思いをかけた女がいた。」
重衡はつぶやく。
「しかし遠い昔のことだ。」
「抱いたのか?」
「いや、思いをうち明けぬまま、出陣した。」
「その女子に会いとうはないのか?」
「じきに死す者にそのような叶うはずもないことを・・・・」
「会いとうはないかと聞いておる!」
「会いたい!」
重衡は叫んだ。
「会いたい!気が狂いそうなほどだ、今まで何度あれの姿を
思い出しては耐え難い夜を過ごしたことか。
そなたにわかろうはずはない!」
思惑通りのはずであった。
あくまでもおだやかで、波一つたたぬ鏡の湖水に石を
投げ込むことが、千手丸の。
が・・・・・・・・・
重衡の体が小刻みに震える。唇をぎりと噛みしめ
睨み付けたその目は憎悪と憤怒とやりきれぬ悲哀を
秘めていた。
(なにをしてしまった・・・・私は。)
人を殺めても、盗んでも、ただの一度も後悔したことのなかった
千手丸だった。
なのに、胸がひどく痛む。
千手丸は重衡の視線を払いのけるようにして
その場を逃げ出した。