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| 思いあまって、俺は会社に戻ってから小林に相談することにした。 一連の出来事をすべて話した。 小林はひととおり聞き終えると、たばこの煙をゆっくり吐き出しながら言った。 「地雷 踏んじまったなぁ・・・・・・」 「うかつだったよ。まさかこんなことになるとは。」 「名刺見られたってのは致命的だな。携帯とアドレスだけならなんとでもリセットできたのに。」 「わかってるよ。名刺と手帳見られるなんて思ってもみなかったんだ。」 「だからお前は甘いって言ったんだよ。女が誘ってきたら誘いに乗ってやるのが思いやりだって? 据え膳食わぬは男の恥なんて言葉は現代じゃ通用しないんだぜ?据え膳食って痛い目にあってるやつが いっぱいいるご時世だよ。」 「俺はどうすればいい?な、教えてくれよ」 「警察に届けるしかないんじゃないかな。」 「警察で扱ってくれるか?」 「そりゃわからん。あんまりひどけりゃストーカー禁止法かなんかで彼女が捕まるとは思うけど。ストーカーって立証が 立つかどうかだな、問題は。」 「それより、そんなことしたら女房に全部ばれるんじゃないか?」 「そりゃばれるだろうなぁ。」 「それはまずい」 「この期に及んでまだそんなこと言ってんのか?」 「だって・・・俺の子供を妊娠してるっていうんだぞ?彼女。」 「それも確証はないだろ。はったりの可能性が高いな。」 「しかし避妊しなかったのも事実だ。」 「確率的には無い話でもないけど。いくらなんでもたった一回しか会ってない男の子供を産みたいなんて 思うか?ふつー。」 はったりか・・・・そうかもしれない。そんなに都合良く妊娠するとは思えない。 「とにかくな、見たわけじゃないんだから、その妊娠って話は半分に聞いておいたほうがいいぜ。 あとはもうしばらく様子を見て、電話がかかってきたらなるべく相手の神経を逆なでしないようにして 着信履歴だけはとっておくんだ。何時何分にかかってきたかってな。で、度が過ぎてきたら、 腹すえて 警察に届けるんだな。俺に言えることはこれしかない。地雷は見つけた奴が 処理するしかないんだよ。」 小林の言うとおりだ。 小さな刺激求めて、花火に手を出したらそれはとんだ爆弾だったというわけか。 この爆弾を俺は本当に自力で処理することができるんだろうか。 大爆発する前に。 その日帰宅して夕飯を食べている時、息子の尚人が言った。 「あ、そーいえばさー、おかあさん 今日なんか俺に用があったの?」 「用?なんにもないけど?」 「学校に電話したでしょ?」 「してないわよ?」 「え・・・・じゃ誰だったんだろう。」 尚人ははしを止めて不審そうに首をかしげた。 「なんだ?なにかあったのか?」 「今日の昼休みに職員室から呼ばれてさ、おかあさんから緊急の電話だぞって。なにがあったんだろうって 思ってあわてて電話に出たんだけど、切れてんの。だからかけなおしたんだけど、家にはもう誰もいないしさ。」 「あら、だって今日はお友達と買い物してランチ食べてたから、お昼には留守にしてたわよ。」 「じゃ誰だったんだ?その電話」 「わかんないよー、」 「他の生徒と間違えたんじゃないか?」 「だって先生は確かに俺の名前を言ったって。女の人だったって。緊急の電話なんで取り次いでくださいって 言ったっていうんだ。」「なにそれ・・・気持ち悪いわねぇ・・・」 紫苑だ やつに間違いない。 奴は尚人の学校まで調べたんだ。 すべて 俺に関することのすべてを、もしかしたら彼女は調べつくしているのかもしれない。 自分は息子の名前も、どの中学に通っているのかも、全部知っているのだと俺に知らせるために、 息子の学校に電話して、息子を呼び出したりしたんじゃないか? 俺は紫苑の少しはれぼったり一重の目を思い浮かべて、ぞっとした。 その時、家の電話が鳴った。 とろうとする妻を制して、俺が出る。 「もしもし・・・・・あたし」 紫苑だった。 「今日ね、検診に行ってきたの。妊娠はしてるけどまだあんまり早すぎて、予定日が出ないんですって。 『随分気が早いですね』って笑われちゃった。ね、聞いてる?次の検診にはだいたいの予定日が わかるらしいわよ。一緒に行ってくれたらうれしいなぁ〜名前考えておいてね。まだどっちかわからないから 男の子のと女の子のと両方考えなきゃね。それからね、明日 会える?」 受話器を持つ手がぶるぶる震える。それは怒りと恐怖と、それからなんとも言えない不快感からだった。 吐き気がするほどの不快感。受話器の穴の中から、紫苑の声が不愉快な虫になって ニョロニョロと這い出してくる錯覚に襲われる。 「ね、聞いてる?けい、聞いてる?きい・・・」 俺は投げつけるようにして受話器を置いた。 「あなた、どうしたの?誰からだったの?」 「いたずら電話だよ。」 そう言い捨てて、俺は夕食もそこそこに寝室にこもった。 次の日、出社すると経理の女の子が近寄ってきた。 「田村さん、ちょっといいですか?」 「うん?どうしたの?」 「あの・・・昨日経理のほうに奥様から電話がありまして。」 「女房が?」 「はい、主人の給料日と給与明細を教えてくれないかって。」 「なんだよ、そりゃ」 「おかしいでしょー?でも、電話に出たのが新人の子で、ちょっとぽーっとしてる子なんですよ。 でね、教えちゃったらしいんです。」 「なに!?」 「すみません、わたしも怒ったんたですけどね、そんなことうかつに教えちゃいけないって。 でもてっきり奥様だと思ってって・・・・・。」 「女房がそんな電話してくるはずないじゃないか。俺に直接聞けばいい話だろう?」 「ほんとにそうですよね。奥様のお名前って亜希子さんでしたよね?」 「そうだよ。」 「たむらあきこです、田村恵一の家内ですって言ったっていうんです。あ は亜細亜の亜 き は希望の希って、そう言ったらしいんです。」 ということは、妻の名前も知っているんだな・・・・・・と、俺は思った。 そして今度は給料日と給与明細か。 いったいなにを企んでいるんだ。俺は半ば開き直った。 昼12時きっかりに、紫苑からの電話が入る。やはり公衆電話表示だ。 「経理に電話したろう」 「あ、聞いた?奥さんの名前でかけたら、簡単に教えてくれるの。おたくの会社の経理って ガード甘すぎよ。気をつけないとね。」 「なんの意味があって給料日だの明細だの聞き出した。」 「あら、だって妻になるんですもん、大切なことでしょ?それにね、あなたのことならなんでも知ってる。 生年月日は1963年11月3日。出身大学は●×大学経済学部経済学科。 軽音楽クラブ在籍。卒業後は保険会社に勤務していたけど、一年で辞めて 羽田商事に入社したんでしょ?実家は岡山。お父さんは10年前に他界。3人兄弟の次男。 お兄さんは農協、弟さんは地元の小学校の先生。」 「もうやめてくれ!」 あたりもはばからず、つい大声でそう叫んでしまった。 部屋にいた女子社員がいぶかしげにこっちを見ていた。 「どうしてそこまで俺を追いつめるんだ。」 「好きな人のことはすべて知りたいものじゃない?愛してるからよ。」 淡々とした声で彼女が答える。 「たのむからもうやめてくれ。息子の中学にも電話しただろう?家にも二度と電話しないでくれって あれほど言ったのに。」 「明日、会ってくれる?」 こいつは・・・・・俺の話を聞いてないのか・・・・・・・・・・・・? 「会いたいの、お願い。会って、抱いて、お願い。」 「もう切るよ・・・」 「切らないで!お願い。明日会って、あたしがまんできないの、お願い・・・あたし、あなたに会えないと・・・」 紫苑の声がしだいに昂揚していき、途切れ途切れに、それでもせつなげに変化していく。 (ま、まさか・・・) 「おいなにしてるんだ?」 「お願い 明日 会って、そうでないと、あたし・・・あたし・・・」 「なにしてるんだ!よせ、どこにいるんだ!?」 紫苑はあきらかに欲情していた。しかし公衆電話ってことは、家ではないはずだ。 この女 外で欲情しているのか。 「やめなさい!」 それでも紫苑の声はますますせつなげに、淫靡に 響く。 俺は携帯を切った。 バカな・・・・・狂っている 狂っている。この真っ昼間に、女が しかも外で・・・・・ まもなく再び携帯に電話がかかってきた。「公衆電話表示」出ないでいると、携帯は恐ろしく長い間ブルブルと震えている。 いったん切れてはまたかかってくる。そしてまたしばらくの間震えたかと思うと切れ、その繰り返しが続く。 俺までも、気が狂ってしまいそうだった。 もうやめてくれ、頼む、頼むから。 「ねぇ・・・あなた。変な電話が来るの。」 その日の晩、妻が言った。 「電話が鳴るでしょ?出るとね、いきなりはぁ・・はぁ・・・って・・・」 「そりゃいたずら電話だろ?よくある話じゃないか、すぐ切ればいいんだよ。」 「でもね、それが女性なのよ。」 「なに・・?」 「そういうのってさ、普通男でしょ?でもね、うちにかかってくるのはどう聞いても女の人なのよ。」 またあの女か。 「あなたもこの前いたずら電話だって言ってたでしょ?同じやつだった?女の人のあえぎ声。」 「い、いや、違う」 「気持ち悪いわよね。尚人が出たらって思ったら、ぞっとするわ。警察に言ったほうがいいかしら。」 小林の言うとおり、警察に届けたほうがいいんだろうか。 しかし俺は紫苑という名前だけで、彼女がどこに住んでいて本名はなにかも、まったく知らないのだ。 彼女は俺のすべてを知っているのに。 でも、俺は守らなきゃならない。今の自分を、今の自分の生活を、家族を、守らなきゃならない。 このままなにごともなかったかのように、うまく強制終了させるのだ。 |