窯の変遷(歴史)
陶芸の窯は3,500年ほど前中国で発明され、
4世紀頃に朝鮮半島へ伝わり、
5世紀頃に朝鮮半島百済から日本に伝わったと云われています。
須恵器を母体とする備前焼は、須恵器を焼いていた窯
(窖窯)を継承して焼成が行われます。
大きさは、4〜6m、幅1〜2m程度であり分炎柱(ぶんえんちゅう)
のない比較的小さい窯でした。
平安末期頃、中央集権の時代が終わり須恵器の小窯は、
日常使いの雑器を大量に焼くために、大型の窖窯による酸化焼成へ
と転換を図りました。
桃山時代には『茶の湯』の隆興とともに、茶人の美意識に適った
焼き物として認められるようになりました。
江戸時代末期からコストダウンを図り連房式登窯が導入され、
単房式の窖窯が廃れました。
昭和初期からは、窖窯でなくても景色の好い焼け上がりを技術的に
再現することを求めて登窯の改良が進みました。
30年程前から窖窯時代の土味、色を求めて、再現復活を目指して
窖窯が再び脚光を浴びるようになりました。
ただ、それまでに技術の継承が途絶えた為に、現在は、様々な
考え方・想いがあり、今、一番作者の考え方が反映された窯と
いえるかも知れません。
大窯(桃山時代)
「古備前名品図鑑」より
「古備前名品図鑑」より
「古備前名品図鑑」より

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備前焼 渡邊琢磨