幕末に長州藩・毛利元周の命令で下関海峡に設置した台場の1つです。文久3年(1863年)に米国商船・ベンブローグ号への攻撃合図の砲弾が亀山台場から発射され、米国と蘭国と仏国の3ケ国を相手に攘夷戦の火蓋が切られました。翌年には英国を加えた4ケ国連合艦隊の来襲によって攘夷戦は幕を閉じ、開国と尊王倒幕を経て、明治維新へと時は慌しく流れました。余談ですが、慶応元年には暴漢に襲われて怪我をした伊藤博文が亀山八幡宮(亀山台場跡)の境内で茶屋の娘だった木田梅子に助けられたのがキッカケで夫婦になった出会いの場所だそうです。門司城跡からは、左側から亀山八幡宮、みもすそ公園(壇ノ浦台場跡)、茶臼山(麓に前田御茶屋台場跡)の順で海岸線に沿うようにして見渡すことが出来、下関海峡にはたくさんの大型船が交差していました。
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