関ヶ原の合戦の軍功によって浜松城から入封した堀尾吉晴が24万石の居城として築いたのがはじまりだそうです。当初、尼子氏の城跡だった月山富田城を修復しましたが、山に囲まれて広大な城下町を造るには不利だったのが、松江に新城を築くことにした理由なんだそうです。写真は、山陰地方では唯一残った松江城の天守閣です。松江城も明治維新には全ての建物が取り壊され、天守閣も180円で売却されそうになりましたが、保存運動によって取り壊しを免れたそうです。城跡は松江城山公園として整備され、復元されたばかりの3棟の櫓を拝観することが出来ました。城外には武家屋敷街があったのですが、今回の旅行で一番の目当てだった尼子経久の月山富田城に急ぎました。
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