首里城
那覇市

1429年(本州では室町時代)に、中山王・尚巴志(浦添城)が、北山王・攀安知(今帰仁城)と南山王・汪応祖(豊見城)をそれぞれ滅ぼして琉球の三山を平定したそうです。尚巴志は居城を首里城に移して大改修をすると、ここに琉球の統一王朝「琉球王国」が成立しました。戦国時代に琉球交易と製糖の利権独占を狙った島津義久の大軍が琉球を侵攻すると、琉球王・尚寧を拉致してしまったそうです。それ以来琉球国は薩摩の属国となりました。戦前は国宝に指定された多数の建物がありましたが、昭和20年5月の沖縄戦で、戦艦ニミッツによる艦砲撃によって27日に破壊されてしまったそうです。1989年(平成元年)に本格的な復元工事が開始され、2000年11月に座喜味城と共に世界文化遺産に指定されました。

座喜味城
読谷村

1416年にこの地を治めていた豪族・護佐丸盛春によって築かれたのがはじまりだそうです。尚巴志(中山王)の連合軍が北山の今帰仁城を攻略して落城させると、盛春は戦後の処理で山田城から今帰仁城に入ると、北山への監視として座喜味城の築城を開始したそうです。盛春は中城城に移るまでの24年間座喜味城に居城しました。硬い石灰岩の岩盤上に築城するのが常識だった沖縄では珍しく、崩れやすい赤土の台地上に築かれた城で、崩落を防ぐ必要性から自然の地形に合わせて屏風状に屈曲して造られたので、非常に美しい石垣に仕上がっているそうです。沖縄戦前には日本軍の砲台が、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の石垣が破壊されたそうです。石垣の復元が行われ、2000年11月に、首里城と共に世界文化遺産に指定されました。

2ヶ所を紹介しています。 (^^)/

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