伏見城は3つ(3ヶ所)あったそうです。1つ目は室町時代に三淵藤英(細川藤孝の兄)が構えた伏見城がありました。2つ目は豊臣秀吉が指月山に築いた伏見城で、4年後に起きた地震で崩壊してしまいました。3つ目は同じく秀吉によって木幡山に再建された伏見城(現在は伏見桃山城キャッスルランド跡と、明治天皇の桃山御陵に変貌)で、秀吉が息を引き取った城となりました。大坂の夏の陣で豊臣秀頼が滅ぶと、伏見城の役割は徳川氏が再建した大坂城に移り、徳川幕府によって取り壊されてしまいました。不要になった沢山の建物は全国各地にある城や寺院などに移築され、それを偲ぶことが出来ます。写真は伏見桃山城キャッスルランド跡にあった伏見城の模擬天守閣で、見た目以上に大きな建物でした。閉館されてから年数が経っており、どこか寂しそうでした。
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