天正15年に豊臣秀吉から讃岐に封じられた生駒親正が、3年の年月を費やして完成させたのがはじまりだそうです。縄張りは秀吉の家臣・黒田如水が手がけたそうです。生駒氏が断絶すると、常陸下館から松平頼重(徳川光圀の兄)が高松藩主となると、11代の228年間、松平氏の居城として明治維新まで続きました。高松城は海水を引き入れた珍しい海城でした。天守閣は、一階を天守台より外へ張り出し、最上階も下の階よりも更に張り出す南蛮造りの特徴的なものでしたが、明治17年に惜しくも取り壊されてしまいました。近年になって、イギリスのケンブリッジ大学図書館から、明治15年12月30日に撮影された天守閣の鮮明な古写真が1枚だけ発見され、一気に天守閣の再建への気運が高ました。ぜひとも実現して欲しいと思いました。
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