高松城
高松市

天正15年に豊臣秀吉から讃岐に封じられた生駒親正が、3年の年月を費やして完成させたのがはじまりだそうです。縄張りは秀吉の家臣・黒田如水が手がけたそうです。生駒氏が断絶すると、常陸下館から松平頼重(徳川光圀の兄)が高松藩主となると、11代の228年間、松平氏の居城として明治維新まで続きました。高松城は海水を引き入れた珍しい海城でした。天守閣は、一階を天守台より外へ張り出し、最上階も下の階よりも更に張り出す南蛮造りの特徴的なものでしたが、明治17年に惜しくも取り壊されてしまいました。近年になって、イギリスのケンブリッジ大学図書館から、明治15年12月30日に撮影された天守閣の鮮明な古写真が1枚だけ発見され、一気に天守閣の再建への気運が高ました。ぜひとも実現して欲しいと思いました。

十河城
高松市

南北朝時代から安土桃山時代まで約230年間十河氏の居城でした。十河一存(三好長慶の弟)が最後に改修して現在の姿となりました。一存は「鬼十河」という異名を持つ猛将で、兄の長慶をよく補佐したそうです。一存の子・存保が城主のときに長宗我部元親が讃岐に侵攻すると、羽柴秀吉に救援を依頼して仙石秀久の軍勢が来援したのですが、秀久の軍はあえなく敗れてしまい、十河城を開城して本州に逃げこんだそうです。翌年に秀吉の四国征伐で旧領を奪還しましたが、2年後に起きた九州征伐に従軍していたときに、戸吹川の戦いで島津家久(義久と義弘兄弟の異母弟)の軍勢に大敗し、討ち死にしてしまったそうです。この戦いに同じく従軍していた長宗我部信親(元親の長男)も討ち死にしているそうです。

屋島城
高松市

大化の改新で有名な天智天皇の時代(667年)に、唐と新羅の連合軍によって近江朝廷の盟国・百済が滅ぼされると、防衛線として屋島城を築いたのがはじまりだそうです。当時の城は水城や大野城に見られるような朝鮮式石塁だったそうで、近年になって発掘調査で判明したそうです。次に歴史に出てくるのは源平合戦で、源義経が崖を駆け下りて屋島に布陣していた平家の背後に襲いかかって勝利を収めました。平家が築いたのは陣城程度の規模だったそうで、近江朝廷が築いた古代の城とは別の場所にあったそうです。写真は真言宗・屋島寺で、四国霊場・第84番がありました。近くには高松平家物語記念館があったので寄ってみました。平家と、平家物語の大ファンである僕は、展示物に見入ってしまいました。高松駅からは徒歩20分程度で行けるのでオススメです。

丸亀城
丸亀市

室町時代に幕府管領・細川頼之の家臣の奈良元安の砦が亀山に築かれたのがはじまりだそうです。豊臣政権の時代に生駒親正が高松城の支城として近代城郭の丸亀城を築き、息子の一正のときに完成しました。一国一城令が下ったときは、樹木で覆い隠し、立ち入りを厳しく制限して破却から守ったそうです。生駒氏、山崎氏、京極氏と城主が変わりましたが、現在見られる高石垣と建物は山崎家治の時代のものだそうです。丸亀城の天守閣は、標高65メートルの亀山山頂に建てられているので、市街地の何処からでも見えました。天守閣の近くまで行くと、台風によって漆喰壁が剥離するなどの被害を受け、修理工事待ちの状態でした。余談ですが、親正の叔母・土田御前は織田信長の生母に当たるので、信長とは従兄弟の関係になるそうです。

4ヶ所を紹介しています。 (^^)/

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