衣川柵
奥州市

平安時代に安倍貞任(頼時の次男)と、征伐の口実を作ろうとした朝廷から派遣された源義家が12年にわたって合戦を繰り広げたのが「前九年の役」だそうです。この戦いの最中で、「衣のたてはほころびにけり」と問いかけた義家に、「年を経し糸のみだれのくるしさに」と貞任が答えたという逸話が残っているそうです。まさか、義家が和歌を詠まれるとはね…。岩手県は安倍氏の伝説が多い土地ですが、後に源頼朝に滅ぼされてしまった藤原氏は安倍氏の親戚に当たるそうです。衣川の戦いで両軍が引き上げたときに、義家軍が引き払ったといわている場所に、国民宿舎サンホテル衣川莊が建っています。そこは弟と平泉旅行のときに泊まったことがあり、敷地内にあったのが写真の模擬天守閣です。模擬天守閣は弘前城に行った帰り道の東北道から良く見えました。

盛岡城
盛岡市
江戸時代に石川信直(後の南部信直)が北上川と中津川の合流地点に盛岡城を築いたのがはじまりだそうです。南部家は内紛で当主の晴政と晴継が相次いで暗殺されるなど混乱をしていたそうです。晴継には嫡子が居なかったので、家臣達の推薦で晴政の養子になっていた信直が当主になったそうです。跡目問題に不満を持った一族の九戸政実(晴政の娘婿を弟に持つ)が反乱を起こすと、信直によって滅ぼされてしまいました。豊臣秀吉による奥州仕置で一層混乱した領内を自力で抑えられなかった信直は、蒲生氏郷と浅野長政の出兵で出羽を平定することが出来たそうです。この混乱によって一族の津軽為信は独立に成功しました。明治7年に城内の建物は取り壊されてしまい、岩手公園として開放され、彦御蔵と石垣が残るのみとなりました。

2ヶ所を紹介しています。 (^^)/

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