戦国時代に加賀国における一向宗の拠点だった尾山御坊を織田信長の家臣・佐久間盛政が攻め落として金沢城と改称したのがはじまりです。金沢城は金沢平野の中央を流れる犀川と浅野川に挟まれた小立野台地に築かれた要害です。信長亡き後に起きた賤ヶ岳の戦い(柴田勝家と羽柴秀吉が対立した戦い)では勝家に付いた盛政が秀吉によって討たれると、秀吉に付いた前田利家が入城して大改修をしたのか現在の金沢城です。以後、金沢城は前田家14代の居城として栄えました。現在は金沢大学が移転して金沢公園として整備され、全国でも類を見ない大型の櫓と城門が復元されました。写真は復元され菱櫓と五十間長屋と橋爪門続櫓で、明治初年に撮影された古写真の通りとなりました。グルッと周ったのですが、規模の大きさに圧倒されてしまいました。
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