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江戸時代初期に小笠原忠真が信州松本城から移って赤松山に明石城を築いたのがはじまりだそうです。最初は明石川の西側にあった船上城(一国一城令で建物の大部分が破却された後だったので、陣屋程度だったそうです)に居たのですが、忠真の母は松平信康(徳川家康の嫡男)の娘・峯高院に当たることから、将軍・徳川秀忠の命令で明石城を築き、それが現在の姿になったそうです。昭和32年に巽櫓と坤櫓が国指定重要文化財に指定されたそうです。友人と姫路城に行き、そこから大阪市に向かう途中の山陰本線の列車の窓から2棟の櫓が見えたのですが、前の年に起きた阪神淡路大震災で漆喰壁が剥離していて痛々しかったです。
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