戦国時代に津軽平野を平定した津軽為信(南部氏の庶流・大浦氏の出)が江戸幕府の許可をもらって 鷹岡に新城(弘前城)を築いたのがはじまりだそうです。二代藩主・信枚の時に完成し、明治4年の藩廃置県で取り壊されるまでの260年間津軽氏の居城となりました。最初、五層の天守閣を築いたのですが、完成して16年後に起きた落雷で焼失してしまいました。九代藩主・寧親の時に本丸東南隅櫓台の跡に三層の天守閣を再建しました。現在は天守閣の他に6棟の隅櫓と城門、番所、石垣、水堀などが残っていて見こたえがありました。写真は平成27年に天守台石垣の修理の為に本丸内側に70メートル曳屋が行なわれた弘前城の天守閣で、約18年振りに訪れて工事の規模に驚いてしまいました。
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