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気まぐれに日記をつけています。 (^^)/

2011年12月17日(土)
岩槻事業所の解体現場に行ってきました
岩槻事業所を離れて横浜勤務を数えて約1年4ヶ月が経ちました。岩槻事業所の売却は随分前からに知っていたのですが、直ぐには解体されずに残っていました。横浜に居る旧岩槻メンバーから「岩槻事業所が本格的に解体されていて、だいぶ進んでいるらしいよ」という話を聞き、自宅から自転車で15分の所にある事業所に走らせました。手前にあったF棟(日本で最初にコピー機を生産したラインがあった建物)が既に無くなり、更にG棟やL棟といったラインのあった建物まで既に無く、この位置からは絶対に見えることになかったX棟(右側に見える解体中の建物)は6階あったのに3階まで解体されてガレキ化していました。なお、左側に見えるY棟には大きな穴が開けられていました。事業所内にあった大部分の建物が解体され、ガレキの山が高く積まれていたのを見たときに、楽しかった岩槻事業所での思い出が蘇ってきました。それと同時に寂しい気持ちにもなりました。ふと思うのだけど、人間の人柄は別として工場系(岩槻・海老名)と本社・KSPの文化にギャップがあるんだなと思う今日この頃です。
2010年8月24日(火)
今日から横浜勤務が正式にスタートしました

入社(1988年4月)して以来だった自転車通勤とおさらばして電車通勤がスタートしました。ウチの会社は再建の一環として、各拠点の統合や整理を発表したのですが、勤務していた岩槻事業所の閉鎖が決定してしまいました。2年前にアメリカ発のリーマン・ショックによる世界恐慌があり、ウチの会社も少なからず影響がありました。職場は、海老名事業所と横浜事業所に分かれることになり、自分は今までの職場を離れて横浜にある新しい職場に配属となりました。7月1日の日付で新しい職場に配属という辞令が出ていたのですが、担当業務の残務処理や移転作業などで、岩槻事業所と横浜事業所を相互に通っていました。昨日で岩槻事業所での業務が終了し、今日から横浜事業所における業務が正式にスタートしました。22年も居た岩槻事業所を離れるのは寂しい気持ちでした。通勤時間は2時間前後(朝は2時間、夕方は1時間半)となり、業務内容もほとんど新しくなってしまいましたが、世の中には更に厳しい環境下で働いている人は大勢いると思うので、「通勤と仕事は恵まれているほうだ」と自分に言い聞かせています。そして頑張って行こうかなと思っています。

2009年5月12日(火)
四十歳の誕生日に熊本城に行ってきました♪
念願の熊本城に行ってきました!熊本城は高校の修学旅行(1987年3月)のときに寄るはずでしたが、天候不順と道路渋滞によって寄る時間が無くなってしまったために中止になってしまい、夕食の時に夜のライトアップで浮かび上がった大天守閣をホテルの窓越しに見ただけでした。一番好きな城だっただけに心残りでした。会社から勤続20周年のお祝いとして永年特別連休を貰ったので、思い切って九州旅行(熊本県・福岡県・佐賀県)を計画して行ってきました。この日は22年振りに見た熊本城で、城内の建物群や石垣、外周など隅々までじっくり散策しました。さすが日本三大名城といわれるだけのことがありました。
2008年12月20日(土)
1000城址目は平将門城!
茨城県の城跡巡りで1011城址を達成しました。1000城址目は守谷市内にあった平将門城址(平将門居館址)です。将門は桓武天皇から数えて6代目にあたります。平高望(将門の祖父)には6人の子供達が居て、3男が平良将(将門の父)にあたります。北条時政&政子、北条早雲、平清盛&重盛、織田信長などは、高望の長男・平国香(将門の伯父)の流れをくんでいます。上杉謙信、坂東八平氏の諸家などは、高望の6男・平良文(将門の叔父)の流れをくんでいます。住んでいる岩槻からは、天気が良い日は筑波山が良く見えていたし、小学校の遠足では度々筑波山に行っていたので、1000城址目を平将門城址で達成する事が出来て良かったです。
2008年8月6日(水)
甲子園
入場式典で、白鴎大足利高校(旧・足利学園高校)が、TV画面に飛び込んできたときは思わず拍手してしまいました。第2試合で、白鴎大足利高校が、3−11で清峰高校(長崎県代表)に敗れてしまいました。初回から力の差があり、苦しい戦いでした。しかし、試合を投げ出さないで3点を返した気迫が見られて嬉しかったです。ナインの皆さん、お疲れ様でした!
左画像:甲子園入場式での様子です.
右画像:3点目を返した瞬間です.
2008年7月25日(金)
白鴎大足利高校が栃木県大会で優勝!
栃木県大会決勝で、白鴎大足利高校(旧・足利学園高校)が、6−2で宇都宮南高校を破って甲子園出場を果たしました。実に29年振りの3度目です。僕が卒業した後には、2度も決勝に勝ち進みながら惜しくも準優勝で終わってしまったことがありました。準々決勝、準決勝、決勝と勝ち進んだ日は仕事には全く身が入らなかったです。特に決勝がある日は、異常にそわそわして落ち着かなくて、職場の評価場で結果が分かった瞬間に「やった〜」と大声で叫んでしまいました。兄弟揃って足学(愛称)出身なので、やはり出場が決まって嬉しかったです。
左画像:決勝打のヒットを打った瞬間です.
右画像:甲子園出場が決まった瞬間です.
2006年12月24日(日)
居間に掛けてある絵画

うちは絵画が好きで、家族で美術館や展覧会によく足を運びました。右の画像は居間に掛けてある絵の1つで、「サクレクール寺院の見える街角(inフランス)」です。これは石版画だそうで、こういうタッチの絵は割と好きなほうに入ります。この絵を描いた方は10年前に向かい前のアパートに住んでいた葉室さんで、うちにはお預かりしている絵が沢山あります。海外の著名な画家ミロなどの絵もあり、本気になれば自宅の廊下に絵を並べてプチ・美術館にすることが出来てしまいそうです。今年、岡山で彼との話の中で偶然に聞いたのですが、藤原道真を祖とする九州の豪族・葉室氏(明治時代は公家で‘男爵’だったそうです)の流れを組んでいることが分かり、ビックリしました。彼の教養の深さといい、話し方といい、聞いていて凄いものがあるのですが、特に絵画の話とキリスト教に関する話は引き込まれてしまいます。岡山の倉敷に行く機会があったら、彼がすすめてくれている大原美術館と大塚美術館(淡路島)には一度行ってみたいと思っています。

2006年7月9日(日)
お城のレポート

「過去に訪れた城の一覧」を大きく変えました。今までは、城址名を選択するとその城址のページが表示出来るようにしていました。今回は、都道府県名を選択するとその都道府県の城址がズラ〜ッと写真付きで表示出来るようにしました。それに伴い「最近訪れた城の写真」に載せる数を大きく減らしました。ここに載せていた訪城のレポートは、スペースの都合で抜粋して載せていたのですが、全文を読みたい場合は「過去に訪れた城の一覧」で紹介していますので、小さな画像付きでご覧になれます。

2006年5月12日(金)
上杉謙信所縁の史跡巡りに行ってきました

この日は37回目の誕生日で、会社を休んで新潟県の上越市に行ってきました。今回は上杉謙信の大ファンであるお袋が一緒なので「謙信所縁の史跡」を中心に巡りました。お袋いわく、「自分の父親から、上杉謙信と塩、毛利元就と三本の矢、の2つの話を、幼稚園の頃からず〜っと聞かされてれていた」と。上杉謙信といえば、春日山城と林泉寺の2つです。米沢と信州善光寺で謙信の遺品などを色々見てきたそうです。しかし、謙信が政を行なった春日山城と、幼少の謙信が過ごしていた林泉寺に行けたという感動はひとしおだったそうです。林泉寺の宝物館には、謙信が生きている時に直に描かせたという小さな絵(日本では1つしか残っていない)、謙信直筆の書状、謙信の墓石、謙信愛用の毘沙門天、謙信時代の火縄銃、旧春日山城の城門だったと云われている門などがありました。今日のお袋は、一日中満面の笑顔でした。

2006年2月11日(土)
モハメド君と聖隷沼津病院

沼津市にある三枚橋城址を最後に静岡の城巡りが終わった後、沼津駅から西側にある聖隷沼津病院に貸し自転車を走らせました。イラクで亡くなった日本人ジャナーリスト・橋本さんを覚えていますか?彼の遺志によって左目を負傷したモハメド君が入院&手術を受けた病院です。予想に反して中規模の病院でしたが、難易度の高い手術だったそうなので優秀な眼科医が居たんですね。ロビーの前に自転車を停めてみましたが、物々しい警備と大勢のカメラマンや関係者の渦の中で、モハメド君と幸子夫人が抱き合ったんだなあ…と思いました。

2006年2月1日(水)
山内家とアメリカの政策 

 二年前の秋に四国の城址巡りドライブに行った時に高知城に立ち寄った。今年の大河ドラマ「功名が辻〜山内一豊の妻〜」の主人公・山内一豊と、妻・千代をやっている。一豊がまだ織田の侍だった頃、馬を買うお金が無くて困っているのを見かねた千代がヘソクリの黄金を取り出し、「これでお買いなさい」と一豊に与え、馬を買うことができた。その馬は素晴らしい馬で主君・信長の目にとまった…という言い伝えがあるが、「内助の功」はここから来た言葉である。
 関ケ原の合戦が終わると長曽我部の土佐は家康に接収され、長曽我部の旧臣(以後、旧長曽我部侍)は浪人として残った。一豊は掛川六万石から土佐二四万石の太守に栄進した。そこへ土佐に乗り込んで来た一豊の軍勢は今風に言えば進駐軍である。領地が4倍に増えたから、増員の何割かは現地で行なうべきだったのだが、一豊は家臣の増員を京都と大坂で行なってから乗り込んでしまったので、浪人になっていた旧長曽我部侍が反乱を起こして浦戸城に立て篭もってしまった。一豊は土佐に入国して死ぬまでの六年間を、旧長曽我部侍の反乱の鎮圧や弾圧するのに費やしてしまったのは、いきなり大国を与えられたが故に招いた不手際が原因であった。
 一豊の死後に山内家は他藩にはない「郷士制度」を制定した。おそらく知っている方は少ないと思う。郷士制度と聞けば聞こえはいいが、これは人権を無視した制度である。旧長曽我部侍への懐柔策が目的で、彼らを正式に郷士とし、田畑の作り取りを認め、武士の待遇にすることでようやく反乱が収まった。しかし、身分差別が手厳しく、同じ藩士でも高知城下に住む上士は、郷士を百姓同然に扱い、その差別を山内家は占領政策として二百数十年奨励してきた。上士と郷士は明治に至るまで顔かたちが異なっていたといわれ、このあたりアメリカ開拓史の白人とインディアンとの関係に極めて似ている。幕末・明治維新に大活躍をした坂本竜馬や中岡慎太郎といった侍達は、郷士階級出身である。
 イラクに、米英を中心とした多国籍軍が占領政策を続けている(米軍は、イラク侵攻のときに石油省だけを接収している)。武力でイラク人を押さえつけ、イラク人による新生国家を形成させているが、それではテロ攻撃は静まらないと個人的に思っている。多国籍軍への恨みが本当に無ければテロ攻撃は起きないものだ。人間に植え付けられた恨みというのは恐ろしいものだ。そう簡単に消えるものではない。戊辰戦争で会津藩は占領後破壊され、旧会津藩士は奥州の辺地(後の南斗藩)に追いやられてしまった。最近、萩市から会津若松市に姉妹都市への打診があったそうだが、「まだ戊辰戦争は終わっていない」と会津若松市が突っぱねてしまった。戊辰戦争の終結から百数十年も経っているのにだ。戦争による他国の占領政策は人間の恨みを増やすだけだ。それは全世界共通ではないだろうか。

2005年11月21日(月)
北条氏綱と勝男(鰹)

鰹(カツオ)は、日本人には太古から馴染みの魚で、「勝男」という当て字があるそうです。この当て字を使うようになったのは小田原城の二代目・北条氏綱が最初だそうです。氏綱が小田原港で鰹釣りを見物した際、氏綱の乗った船に一尾の鰹が踊りこんで来ました。これを見た家臣が鰹を「戦に勝つ魚」であり、吉兆の印であると氏綱に進言したそうです。この直後の合戦で氏綱は勝利を納め、以後出陣に際して鰹を供える様になった…という故事に由来しているそうです。父・早雲と、息子・氏康の影に隠れてしまいがちであるが、伊勢氏から北条氏に名前を変えたのが氏綱で、武田氏・上杉氏・里見氏・千葉氏・足利氏・武蔵七党などの有力豪族に囲まれている中で、北条氏としての基盤を築き上げた名将です。今川氏の家臣だった福島正成の息子(後の北条綱成)を婿として迎えるなど、北条五代の中では最も「義」を重んじた人物でした。氏綱が亡くなる時に「義を捨てての栄華よりも、義を守っての滅亡を良し」と遺言を残したのですが、息子・氏康をはじめとする北条一門の教訓となりました。

2005年11月10日(木)
先日の一周忌

去る5日に行なわれた亡き親父の一周忌が無事に終わりました。お集まりいただいた親戚を見渡して、小田原の北条氏と重ねてしまいました。親子や兄弟が殺し合うのが当たり前の戦国時代でありながら、親子・兄弟・親戚などの一族が争う事なく結束していたのは北条氏だけです。お経をあげていただいた御住職の話によると、法事をキッカケに関係が壊れてしまった家庭をたくさん見てきたそうで、ウチは素晴らしいというお言葉を頂戴しました。「相撲」の貴乃花と若乃花の対立や、「オヤジギャル」を描いた漫画家の故・中尊寺さんの実母と夫の対立が記憶に新しいのですが、ウチは色々良くしていただいており、感謝の気持ちでいっぱいです。

2005年10月30日(日)
ヘルメット

今日、親戚からヘルメットとグローブとツナギをいただいてしまいました♪どうもありがとうございました!先日(23日)に宇都宮に住んでいる友達と井頭にあるサーキットでゴーカートをしたばかりなのですが、次回はいただいた物でデビューさせていただきます。実は「NISMO」というステッカーを買ってあるので、上手く処理してレーシングドライバーのようにバイザーに貼ろうともろくんでいます。出来上がったら日産ワークスのエースドライバー・本山哲の気分でガンガン攻めることが出来るかも?!

2005年10月20日(木)
万歩計とウォーキングノート

先週、産業医との面談があり、「健康の為に歩きたいが続かない」と相談したら、その時に万歩計とウォーキングノートをすすめられました。今日で一週間になるのですが、自宅と会社の間を歩く様になった(徒歩30分程度)だけでなく、会社の中でも意識する様になりました。居室と実験室は棟が別々なので距離が思ったより有りました。あと、トイレは一番近くのではなく、居室のある棟の最上階(6階)まで階段を登ってから用を済ませる様になりました。昨日と今日は1万歩を超えました。僕は日記を書いているのですが、今年で13年目になります。ウォーキングノートも違和感が無く日記を書く感覚で毎日つけているので、続けられそうです。あと、ノートには九州の大宰府(発)から箱根(着)のルートになっているので、佐賀まであと何km?福岡まであと何km?という具合でチェックが出来る様になっているので面白いです。万歩計があると意識が違ってくるので続けられそうです♪

2005年9月10日(土)
トレンクル7500のレポート

上野にある行きつけのショップから電話があったのは静岡の城址巡りから帰った日の夜で、お袋から聞いてワクワクしてしまいました。翌日に上野に飛んで行きました。トレンクルは買った7500と6500の2種類があって、数字は重量を現しています。自分のは前者で7.5kgになります。材質はチタン製なので思った以上に軽いのにはビックリしてしまいました。しかも400円コインロッカーに入ってしまいます!ギヤはないですが、軽いので思ったより軽快に走れ、これならばレンタカーを使いたくない都内や名古屋、大阪、京都のような場所で電車を乗り継ぐときは威力を発揮しそうです。最初はミズタニのBD−1が欲しかったのですが、BD−1を持っている人達の井戸端プログを読んでみると、セカンドとしてトレンクルを持っている方が多いことが分かったので、重量が物を言うんだなと。それでトレンクルを選びました。デビューは「静岡・沼津の城巡り」で考えています。あと、少しずつカスタムして行きたいと思います。

2005年8月21日(日)
折り畳み式の自転車を発注しました♪

今日は都内にある奥沢城址と世田谷城址に行きました。奥沢城址(浄真寺)は、春日部から北千住経由で東急東横線の「自由ケ丘駅」から歩いて行きました。世田谷城址(豪徳寺)は奥沢城址から駒沢大学を横切り、更にローカル線を乗り越えて行きました。約4kmも暑い中を歩いたのですが、その時に「自転車があれば楽なのに…」と思ってしまいました。その自転車ですが、小田急線の「豪徳寺駅」で乗って新宿経由で上野に出て、行き付けの自転車ショップで発注しました。こういう風に書くと衝動買いをした風になっていますが違います。去年から色々なメーカーの自転車を実際に触れたり試乗したりする等の検討を続けていて、数日前に買う自転車がようやく決定したので、城址巡りを兼ねて上野に行きました。パナソニックの「トレンクル7500」です。在庫があるとのことで入手は早そうで今から楽しみです(レポートは後日に…)。

2005年8月13日(土)
アクセスカウントを入れてみました!

ホームページ作成の勉強として「アクセスカウンタ」を表紙に追加してみました。最初はよく分からなくてハマッてしまいましたが、ようやく出来ました。カウンタを入れただけだと浮いてしまって何だかバランスが悪かったので、一体感を追求してみたら今のデザインが出来上がりました。

2005年7月18日(月)
中国からの知人が2泊しました

中国からの知人が再び来日したので、昨日は上州赤城山を案内しました。火口湖に神社があるのは中国では余りないということで喜んでくれました。今日は埼玉県立博物館に行き、陳さんは戦国時代風の甲冑を、秦さんは十二単を体験試着することが出来、大喜びしていました。日本人でもなかなか機会が無いよな〜。2日間の夜は、陳さんによる桂林風・中華料理はとても辛かったけど食べやすくて美味しかったです。話変わって、お城巡りをすると感想をホームページの「最近、訪れた城の写真」ページに随時載せてきました。全部で441城址も巡った現在、そのまま更新しちゃうと勿体無いので、記録を紙に印刷して冊子みたいなのにして作っていくことにしました。今まではAccessを使ったデータベースで文章のみの記録を管理してきましたが、写真入りのページを441枚も作らなければならないのか…(記憶は確かなのかどうか…苦笑)。両親から「早く作れ!」と言われ続けてきましたが、何年も後回しにしてきた‘つけ’がドカーンと…。ともあれ、ホームページを作ったのがキッカケなので頑張って作って行きます!!

2005年7月10日(日)
表紙の写真をロールオーバーにしてみました

昨日は、久し振りに茨城県の城址を巡りました(合計7ケ所)。雨の降る確率が30%と高かったが思い切って出発したのが良かったのか、城巡りが終わって埼玉に戻った頃に本格的に降ってきました。先日、水戸市内だけで城址碑(もしくは説明板)のある城がたくさん有ることが分かり、昨日行ってきました(水戸城&偕楽園&弘道館は抜かしました)。さて、今日は表紙にあった写真をロールオーバーに効果を加えてみました。これは写真にカーソルを重ねると古写真に切り替わるようにし、カーソルを離すと元の写真に戻るようにしたものです。プロバーダーから割り当てられたホームページ容量が小さいので凝った効果をポンポン入れることは出来ないのですが、いくつかあった効果パターンの中から選びました。これって面白いなーと思いました。

2005年7月6日(水)
今朝、人身事故をみかけました・・・汗

自転車で通勤しているのですが、近所の信号の無い見通しの良い交差点で、乗用車(トヨタマークU)の助手席側のドアに大型スクーター(ヤマハ250cc)が突っ込んだ感じの事故でした。ライダーは意識があるものの横たわっていて、ドライバーの男性はオロオロしていました。交差点で電話線工事をしていた業者が3人で交通整理をしていました。ライダーは中年の男性でヘルメットはしていたので頭は大丈夫のようでしたが、バイクは大破しパーツが散乱していました。会社に急いでいたので直ぐ現場を離れてしまいましたが、すれ違うように救急車が到着しました。男性の容態が無事であることを祈りつつ、バイクは怖いなと思ってしまいました。車と違って身体をガードするものがないので飛ばされてしまったらタダでは済まないから…。事故現場の交差点は広くて見通しは良いがスピードが出るので、時々タイヤカバーやパーツの破片、ウィンドウの破片などが散らばっています。皆さん、最近の車はマナーが悪いので気をつけて下さいね。そういえば事故を起こしたマークUは雑誌に出てくるローリング族っぽい改造車でした。

2005年5月12日(木)
今日は僕の誕生日♪ (^^)/

とうとう30代も後半にさしかかってしまいました。特別な意味は無いんですけど「あ〜今日で36歳になっちゃったか〜」と思いながら、仕事中に何度も天井を見上げてしまいました。新製品の品質評価の追い込みで忙しいはずなのに、何度もボケ〜として年上の同僚からは「お〜い、武ちゃん早く来てっ」と言われ、同い年の同僚からは「オメー、サボッてんじゃねーっ」とケリを入れられてしまいました。ゴメン、ゴメン〜と頭をかきつつ、脳みその中を仕事モードに入れ直しました.笑。10〜20代の時はお祝いの言葉をかけてもらうと嬉しかったけど、30代になると「あと何年で40歳になっちゃう?」と指を折って数えてしまうのはオヤジ度の指数が高いのかも。

2005年5月8日(日)
今日のお袋は・・・(^^;

今朝、お袋が先月行ってきたイタリア旅行の写真(ネガ15本分)が届きました。お袋は写真の入った箱を開けると、写真の順番をチェックにつきっきり。イタリア旅行の話は後日に説明するとして、旅行先のサンマリノではF1グランプリをやっていて、その時に寄ったところにフェラーリのF1マシンが展示してあったのを撮ったのが右の写真です。そうしているうちに時計の針がグルグル回って夜になってしまいました。台所を見ると洗った食器が山積みのままでした。え〜いっ!「お袋〜今夜は作るわ!」。今夜のメニューは、ご飯、トマトサラダ(刻んだナッツを和えて、青紫蘇のドレッシングをかけたもの)、コーンスープ、コーンのバター炒め(バターは少量で、隠し味として塩をパラパラ)、ツナ(醤油を少しかけたもの)、グレープ(白ワインと砂糖を少しかけたもの)、そして焼き海苔です。二人ともそんなにお腹が減っていなかったので、ちょうどイイ量で美味しく食べることが出来ました♪

2005年5月5日(木)
静岡の友達とカレスト幕張に行きました

日産が好きな僕は前から行きたかった所で、静岡の友達が泊まりに来た時に、待ち合わせとしてカレスト幕張に行きました。カーショップと整備工場と新車ディラーと中古車ディラーを足して割ったような感じでした。新車の試乗も出来るので、フーガとキャラバンの2つを運転してみました。フーガはアクセルをグッと踏むと3500ccのブ厚いトルクを発生して、静かにあっという間にダッシュして気持ちが良かったです。排気量のある車には憧れるのですが、給料に見合った維持費を捻出することが出来ないので、そういうときでないとね〜笑。キャラバンはバスみたいなミラーを装備したのをチョイスしたのですが、非常に運転しやすかったです。去年家族旅行でセレナをレンタルしたときは運転しづらくて疲れてしまいましたが、キャラバンはS字コーナーでも違和感なく通り抜けることが出来ました。キャラバンは現在乗っているセドリックワゴンの次に買う車の1つとして候補に上げているのですが、その前に実家車庫の低い屋根を何とかしなければ…汗。

2005年4月28日(木)
消火器の粉末が〜〜〜〜っ 汗

一昨日(26日)の夜、読みたい本があって散らかっている書斎を掻き分けていたら、何かにつまづいてヨロけてしまい、とっさに手を支えたのは消火器のレバーでした。ポンッという弾けた音と共に安全ピンが吹っ飛んで、シュボボボーッ。「ああああ〜っ」と叫びながら玄関に駆け下りて開けようとしたけど開かなくて、そうしている内に白い粉末が舞い上がってきて、思わず二階に避難してしまいました。一階は天井に迫るほど瞬く間に真っ白になってしまい、その舞い上がった粉末が沈むまで呆然として眺めてしまいました。ウチの玄関は、内側からも鍵をかけることが出来るようになっていて、この日は鍵をかけてしまい、しかもそのキーは2階に置いてしまったので、全部出し尽くしてしまいました…汗。10分後、全ての部屋の窓を開け、3台の扇風機を取り出してまだ舞い上がっている粉末を外に排出することから始めました。消火器の粉末を吸い込まないよう、鼻の穴にテッシュペーパーを詰めて、更にマスクをはめてから掃除を始めました。掃除していて気がついたんですが、消火器の粉末は水に溶けないんですね。水で湿らせても、それが乾くと粉末に戻ってザラザラになってしまうので、完全に除去しない限りキレイにならないようです。おまけにタバコのヤニみたいにわずかに粘着性があり、悪戦苦闘で気がついた時は朝の5時になってしまいました。会社に休む旨のメールを出してから、仮眠しました。昨日(27日)は、1日中掃除に明け暮れてしまいました。頑張った甲斐があってか、書斎を残して一階は全てキレイになりました♪今日(28日)は出勤しました(同僚と消火器の話題で盛り上がってしまいました)。書斎は明日(29日)の掃除で完了させたいと思っています。5年間分の大晦日の大掃除を3日間でやったような感じで、しばらくは「掃除」という2つの漢字を思い出したくないです〜。そうそう、消火器ってどうやって途中で止める事が出来るんでしょうか?