僕の観世音経
観世音は観音より出で
観世に向かわねばならない
小悟小覚より大悟大覚へ
菩薩より仏へ
自らを救う事即ち世を救う事である
僕という菩薩は一つの過程である
観世音とは僕自身の時空的記述に外ならない
高みへ 頂きへ 世界を見渡す場所へ
この末法の世にあって
五十六億七千万年を経ずして すでに
弥勒の兆
全河は海へ還る
全ての流れはその源へと
向かわねばならない
宇宙の内の全てに 宇宙の全てを観る
人に因れば偏 道に因れば遍
偏在は遍在の異名である
僕は宇宙だ
釈迦は言葉に拠らず 僕は言葉で語る
それは詰まる所 同じ事なのだ
不遜なこと言ってますけどね。