

現代の神秘家
OSHOが私たち現代人のために考案した
数ある瞑想法の中から 代表的な
ダイナミック瞑想 ・ クンダリーニ瞑想
イブニング・ミーティング
(ダンス + ミュージック & サイレンス、ヴィデオ・ディ スコース )
を中心に 瞑想的なひとときを味わいます
※ ヴィデオディスコースについて
ヴィデオディスコースは“鑑賞”するためのものではなく
瞑想会を締めくくる 「OSHO がリードするガイド瞑想のようなもの 」です
ヴィデオは英語で、字幕はありませんが
OSHO の語る一言一言、そして、静寂のギャップを
小鳥のさえずりに耳を澄ますようにして味わって下さい
尚、希望される方には日本語訳をお渡しします
どなたでも参加できます 気軽に遊びに来て下さい
また、ドアがロックされている時は、瞑想中です
ドアが開くまで、お待ち下さい
動きやすい着替えを用意して下さい
瞑想に関する質問は
ここ をクリックしてみて下さい
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月 13 (日) ・ 6
月 10 (日)
Timing 1 0 : 0 0 〜 1 7 : 0 0
参 加 費 3 0 0 0 円
会 場 サラ・シャンティ

(阪急六甲駅下車、徒歩2分)
問い合わせ
(お気軽にお問い合わせください)
今月の講話
愛するOSHO、西洋の地に住み、教えを説いた最初の禅マスターの一人である
鈴木俊隆は、かつて何故、悟り、光明について多くを語らないのかと尋ねられました
マスターは笑い、答えました
「私が悟りについて話さないのは、一度たりとも耳にしたことがないからだ」
何か仰って頂けますか ?
ディヴィッド・ヘイ
西洋では禅は実に風変わりな“context
- 文脈、背景”だ
あなたが話しているマスター、鈴木俊隆は
禅を言葉で言い表すことに途方もない困難を感じたに違いない
というのも、禅には禅特有の“language - 語り方”があるからだ
禅には地球上に存在する他のどんな土壌とも異なる土壌がある
禅を紹介するのは、それがどんな国にであれ、骨のおれる仕事だ
誤解されることを覚悟しなくてはならない
鈴木のこの声明は一見、非常に明瞭なように見える
読む人は誰でも何の苦労もなく理解するだろう
ところが、理解したことは、何であれ誤りだ
マスターは質問された
「何故、あなたは悟りについて語らないのでしょう ?」
悟りとは光明に当たる日本語だ
鈴木は、質問者には理解できないこと
誤解するであろうことを承知の上で禅マスターたる答え方で答えた
鈴木は言った「私が悟りについて話さないのは、一度たりとも耳にしたことがないからだ」
鈴木の声明は全く明白だ
言語学的に何の問題もない
その中に理解されるべきところは何もない
鈴木は言っている「私は一度も耳にしたことがないから一度も話したことがないのだ」
ここで、私は禅の背景
同じ文章の意味が、あなたが理解するであろうことと
正反対の意味に変わる禅の土壌について語らなければならない
禅は、誰も悟り、あるいは光明を手に入れることはできない
という点に絶対的な確信を持っている……
物なら手に入れることができる
あなたはお金を手に入れることができる
権力を手にすることができる
世界を手中にすることだって可能だろう
ところが、光明を手に入れることはできない
光明は物ではない
光明を所有することは不可能だ
光明を手にしていると言う者たちは光明を手にしてなどいない
彼らは光明の「イロハ」すら理解していない……
鈴木はそう言っているのだ
“私”と光明の間には何の違いもない
だったら、どうやって“私”が光明を手にすることができる ?
“私”は、丁度、一滴の雫が大海へ消えてしまうように
光明の中に完全に消えている
「私は大海を手にしている」などと
雫に言うことができるかな
? 雫は大海なのだ……
大海を手にするなど問題外だ
これが最初にはっきりと理解すべきことだ