「家族の座」を受けて気づいたこと : シェアリング
97年以来、毎年、「家族の座」のワークショップをオーガナイズしていますが
私自身、何度か自分の「座」を開いてもらったことがあります
その中で、特に強烈だったのは、父母との関係を見た「座」で
2001年秋、へーリンガーのワークショップに参加した時のものです
母との折り合いの悪さ
私の側からいえば、母が私のかつての行動を許さず、受け入れてくれない
ということを私は訴えました
父、母、私の三人の「代役」が選ばれ、私はそれらの人々を配置しました
「典型的な エレクトラ・コンプレックス (下記注を参照) です」とヘーリンガーは言います
やがて、私は自分の「代役」と交代するように言われ、「座」の中に入ります
父への親密感と
母へのーどう表現したらいいのかわからない、重苦しい感情
へーリンガーが、母にこう言ってみるように提案します
“ I kill you.”
とても、そんなことは言えない。でも、---「死んでほしい、---死ね?」
「私」は「母」に対し、何度も「死ね」という言葉を投げつけました
「ここまでです」とへーリンガーは言い、セッションが終わりました
私は、そこで起こったことが受け入れられませんでした
子どもと母親のつながりは根源的なものなので
母親を愛せず受け入れられない子どもは、生きていくことができない
ー長じてのちの、乳癌や子宮癌は、娘が母との関係を結べていないことに起因する場合があるー
そのようなことを、ワークショップの中でヘーリンガーは話していたので、なおさらでした
母との関係を正しくしなければ、私は癌になるかもしれない、という強い恐怖に襲われました
最近になって、ようやく気づいたことがあります
へーリンガーがしたのは
被害者意識に陥っていた私の視点を、全く逆に向けさせることだったと
ゲシュタルトの変換です
1枚の絵の中で、若い娘の横顔だけを見ていると、醜い老婆は見えないし
老婆を見ていると、娘は見えない
でも、どちらも同時に存在しているのだということ
視点を変えること、さらに距離を置いて見ることで
どちらにも同一化しないでいいのだということがわかります
こんなふうに理解するのに、約5年かかりました
五年前の私は、初めて見た醜い老婆に動転し
でもそのおかげで、「被害者」ではない立場から
母との関わりを見続けていくことができたと思います
最近はようやく、母と少しくつろいだ関係が持てています
母に電話したとき、電話を切る前に母が
「また、電話して」と言ってくれるようになった
これは私にとっては大きな変化だし、うれしいことです !
エレクトラ・コンプレックス
女子が同性である母親を憎み、父親を思慕する無意識の心的傾向
男子のエディプス・コンプレックスに対する