6月30日

つい最近の事件で、美容整形外科医の娘が誘拐されて身代金要求されたってのがあった。

わたしはこの母親の美容整形医って人をまったく知らなかったんだけど、有名人だったんですってね。

どーりで記者会見でモザイクも無しにインタビューに答えてたはずだわ。

以前から母娘でセレブな生活ぶりがメディアで取り上げられてたそうで、犯人もその様子をテレビで見て

こいつは金になると思っての犯行だった。

案の定 事件後のメディアはこぞって「自業自得発言」を流し始める。

メディアってほんとに勝手なもんで、なにもない時はセレブ母子の買い物に密着して、豪快な金の使いっぷりに

「すごいですねぇ〜!!!」とか言ってよいしょしまくっといて、なにかあると「そーら、みろ」って

バッシングしはじめるんだ。

それはまぁいいとして、テレビにうつった母子の買い物風景に、へぇ・・・・と深いため息をついてしまった。

母子がブティックであれこれ服を選んでる様子だったんだけど、母親が店員に「そのハンガーにかけてあるやつ

ここからここまで全部と、あの棚のもの、全部いただきましょうか。」

さすが金持ちは買い方が違うね。

一枚買うのにも躊躇しながら、あーでもないこーでもないと検討に検討を重ねて、結局は買わなかったりする

一般庶民なわたしとは比べるまでもない。(笑)

マイケル・ジャクソンが、高級骨董屋で買い物する風景をテレビで見たことあるけど、一個何千万もする壺を

「これとこれと、あれももらおうかな。それからあれとあれとこれ。」

ってぽんぽん買っていく、あれを思い出しちゃった。

あの時も へぇ〜って思ったけど、それは「うらやましい」って感覚じゃなくて、なんだか心がジトッとするような

気持ちの悪さだったんだな。

母子の買い物風景にもそれと似たものを感じた。

人の金なんでどう使おうと勝手だし、そのことに対して「そんな無駄使いする金があったら恵まれない人たちに寄付を」

なんて偽善者発言しよーとは思わないけど、だ。

ただ単に「そんな買い物のしかたって逆につまんなくないのか?」って思うだけなのよ。

買い物の醍醐味ってさ、本当に欲しい物を買うことにあるんだと思うの。

これが欲しい あれが買いたい、そのためにお金貯めたり持ち合わせてたへそくりを清水の舞台からバンジージャンプ

する気分で使ったり、ボーナスもらったからたまにはいっきに・・・だったり。

そうやって買うからこそ、うれしかったり充実感感じたりするんだと思うの。

「その棚のもの全部」 そんな買い方ってちっとも楽しくないし、ありがたみもない。

お金はあっても心が空虚 そんなイメージがわいてきたけど、きっとよけいなお世話ですね。

そーそー、お金持ちじゃないひがみってわけです。

「心が空虚でもいいから金欲しい」これもまた正論。

金もなければ心も空虚って人のほうが圧倒的に多かったりするわけで(笑)


6月28日

さくらんぼの時期なので仕事が超忙しい。

毎日帰りが7時を過ぎる。膝も腰も痛い。それでもこういう体勢でさくらんぼ時期の仕事するのはもう今年が最後らしい。

来年度からは大幅に職場形態が変わるからだ。

そう思うとこの超繁忙期も名残惜しい。

この忙しさが翌年の実績に(自分のじゃなくて職場のね)につながると思っていたからこそ、繁忙期も乗り越えられたけど

もう次がない(かもしれない)っていうんじゃ なんか張り合いもないよね。

と、心の中でぶつぶつ言いながら仕事していると、突然「おはよーございまーーーーす」と大声で挨拶しながら若者が入ってきた。

いまどきあんな大声で挨拶しながら入ってくる若い衆なんて、このへんだっていやしない。

彼はでかいリュックサックにペットボトルのお茶をくくりつけて、風鈴が5個くっついた棒のようなものをかついでいる。

「お仕事中もうしわけありません、栃木からやってきました〜風鈴はいかがでしょうか〜」

げ・・・・・でたか 謎の風鈴売り

上司の自宅に風鈴売りがやってきたって話を聞いたのはついおとといのことだ。

すかさず上司が「今仕事中だから困ります」と言うと、彼は「そーですかーみなさんお体に気をつけてがんばってくださいね〜」

と、にこやかに帰って行った。

以前はよく、お茶とかおつまみを売りに来る若い子を見かけた。

いきなり職場にやってきて、3袋千円と決して安くないイカのくんせいとか持ってきて、買わないっていうと「それじゃーここで

歌わせてくれ」と、知床旅情なんか大声で歌う、通称 「歌う珍味売り」

職場の新人研修の一環なので・・・とか言い訳してたけど、あとであれは「統一○会」の資金集めだったことが判明した。

あの謎の風鈴売りもあれと同じヤカラなんだろか。

6月24日
今日 買い物に行った時のこと

レジでわたしの前の前で会計やってた男性がカードのことでレジの女性とこみいったやりとりしてたもんで

行列できてしまった。

わたしの後ろに並んでた男性(推定年齢50代)は、隣のレジにうつろうとしたけど、そのレジはなにか他の作業やってる

途中だったから閉鎖していた。

男性はそのレジの女性に向かって言った。

「ちょっとオバちゃん  オバちゃん このレジ空かないの?」

すぐにそのレジは解放されみんなそっちに移っていった。

オバちゃん  かぁ・・・・・

別にわたしが言われたわけじゃないんだけど、なんだか鬱々とした感じになってしまったよ。

レジの女性は そーだなぁ・・・わたしと同い年くらい?もうちょっと上かな?

まぁまぎれもなく「おばちゃん」世代ではある。

わたしだってどう逆立ちしたっておねーさんではないし、自分のことはれっきとした「おばちゃん」だと思ってる。

子供に自分のこという時にはなんのためらいもなく「おばちゃんに貸してごらん」とか言うし

名実ともにおばちゃんだと理解してるし納得してる。

でも人さまから言われるとなんだかものすごく嫌な感じがするのはなぜなんだろう。

別に自分のこと若いとは思ってもいないし、人のことは「あのおばちゃんさー」とか平気で言うし(笑)

わかってはいるんだけど、やっぱりおばちゃんって呼ばれるのはイヤだ。

かと言ってみのもんたに「お嬢さん」なんて歯の浮く冗談言われて、ほほほほなんて笑ってるやつの

気がしれないんだがな(笑)

おばちゃんと呼ばれるのがイヤな 自分の気持ちがイヤだ。

人っていったいいくつになったら「おばちゃん」と呼ばれることに違和感を感じなくなるんだろう。

わたしくらいの年の女性はみんな、納得しておばちゃん呼ばわりされてるんだろうか。

それとも内心忸怩(じくじ ね)たる思いでいても、表面上は屁とも思ってないふりをしてるんだろうか。

「おばさん」の称号を受け入れられるようになりたい。

そうすればどんなに楽だろう。


6月23日

ジーコ・ジャパン  残念だった!!!

朝4時に起きて応援したのに、1点入れて喜んだのもつかのま、ついうとうとした瞬間 目覚めたら

ブラジルも1点入れていた。。。。

でもやっぱり、ブラジルってすごいです。

日本もがんばってたけど、相手のほうが一枚も二枚もうわ手で 軽く遊ばれてるよーにシロウトの目には見えました。

川口もがんばってたけど、GKががんばらなきゃならないってのは本当はまずい話なわけでしょ?

でも、こーーんなドシロウトでサッカーのルールもよくわかんないヤツを、4時起きして応援させた 彼らの健闘は

心からたたえたいし、「次があるぞ!!!」と声を大にして言いたい。

みんな一緒になってひとつのものを応援したり、試合後 あーでもないこーでもないって議論を戦わせられるって

楽しいね〜

6月16日

職場では「日本なんて絶対勝てるわけない」って話で一笑に付されてしまった(汗)

わたしは日本がどれくらいの実力あるのかとか、世界レベルでいうとどれくらいの位置にあるのかとか

そういうのいっさいわからないから、今回やられても次回は!と思ってる。

だってなにが起こるかわからないのが競技ってものですものね♪

今回の試合でゴールキーパーのすごさってものを、いまさらながらなんだけど感じたね。

前の日記にも書いたんだけど、つい最近までゴールキーパーってゴールから外に出ちゃいけない人なんだと

思ってて、「同じ選手でもグラウンド駆け回ってる選手に比べたら暇で、やりがいがないんじゃないか?なんて

思っていた。日韓ワールドカップの時、キーパーの選手もグラウンドに出てきてたから、「あらあらあら、それって

いいの?反則とられないの?」と思ったら、いいんですってね、出ても(笑)

この前の川口は、かっこよかったぜ〜

「よっ!止め男!」と思わずかけ声をかけたくなった。

必死でボールにくらいつく川口の全身から、ものすごいエネルギーが放出していたように感じた。

よく漫画なんかで 人物の周囲にメラメラーって炎が描いてあるシーンあるでしょ?

まさにあんな感じ。

日韓では宮本にほれたけど、今回は川口にほれそう♪

そんなわけで、勝てないとか監督が悪いとかさんざん言われてるようだけど、わたしはとことん日本を

応援していくぞぉ

6月12日 その2

で、急に思い立って山形ソラリスに「ポセイドン」を見に行ってきました。



1972年公開の「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク。

当時は豪華客船が津波でひっくりかえっちゃって、上下逆さまになるシーンが「すごいっ!!」と思って見た。

人間がばらばらとスローモーションみたいに落ちてくるさまが恐怖心をあおる。

あれからさらに34年たって、映像もパワーアップ。

しかも「アドベンチャー」はテレビの洋画劇場で見たんだけど、今回は大スクリーンだから迫力が違うね。




前回のジーン・ハックマン的役回りの 元海軍のギャンブラー、ディラン役の ジョシュ・ルーカスがかっこいい♪

往年のスティーブ・マックイーンを彷彿とさせるような、「ああ・・・この人が一緒ならきっと助かる」みたいな

タフさと不屈の精神をみなぎらせたナイスガイ。

カート・ラッセルの 元消防士な元N.Y市長も 年頃の娘を思いながらなかなかうまく愛情を表現できない父親って

設定で、しかもいざって時には娘を背負ってダイビングもしちゃう「オヤジ!やるじゃん!」って感じです。

そして、リチャード・ドレイファス うーん すっかりお年を召されて(笑)

わたしが知ってるドレイファスは「未知との遭遇」でUFOにハマって最後はUFOに乗って

宇宙に行っちゃうおとっつぁんの役でした。あとは「ジョーズ」とか「グッバイガール」とか、あー、それが

「アメリカン・グラフィティ」ね。

わたしが中高生の頃はよく見かけたのに最近あんまり見ないなーと思ってたら、今はオックスフォード大学の

セント・アンソニーズ・カレッジで上級顧問をつとめているとか。

「ポセイドン」ではゲイの建築家ネルソンの役で、つきあってた「彼氏」にふられて傷心のまま客船に乗り込んだって設定。

シングルマザーのマギーとその9才の息子コナーのシーンなんかは、やっぱり自分の子供とだぶっちゃって

手に汗握って 「ママーーーーーーっ」なんて泣き声聞くとウルッとしちゃうけど、一番心に残ったシーンといえば

調理場スタッフ バレンタインとドレイファス扮する建築家ネルソンとのシーン。

このバレンタインって青年はほーーんと、いい人。

アメリカの病院に入院している弟のお見舞いに行きたいエレンのために、こっそりエレンを無賃乗車させてあげる。

事故が起こって逃げる時も、自分を最後にしてみんなを先に逃がしてやるんだけど、ネルソンを先に逃がそうとして

結局はとても ある意味むごい死に方をしてしまう。

結局いい人ってのはむくわれないまま命を落とすのか?

そして彼に対してはからずもそんなむごいやり方をしなければならなかった側も、痛い。

(ネタバレになりそーだからこれ以上は書けません)

面白かった。やっぱりこの手の映画は大画面で見なきゃ迫力は伝わらない。

ただ やっぱりこの手のパニック物って誰が死ぬか誰が生き残るかってだいたいわかっちゃいませんか?

最初に こいつとこいつとこいつは死なないべ〜ってのがわかっちゃってると、面白みがちょっと薄れる。


あとは音楽のクラウス・バデルトに金星をあげたい。

音楽がすごくいい!

荘厳でいて危機感を感じる。壮大な大海原と、人間の力ではどうやってもあがらいきれない運命。

そんなのがひしひしと伝わってくるような、いかにも大スペクタクル巨編に似つかわしい映画音楽。

「ポセイドン」はこの音楽で50%は成功してる気がする。




6月12日

いよいよ今日は日本vsオーストラリア戦

やっぱ世間の流れには乗らないとねぇ(笑)

でも実はサッカーよくわからないのよね。(;^_^A 日韓共催のワールドカップの時は、サッカーのルールもよくわからずに、

それでも燃えた〜 あの時 鼻の骨骨折してプロテクターつけて 出場していた宮本がかっこよくて♪

「日韓ワールドカップの時の日記」

あれ以来またサッカーからは遠ざかってたんだがサッカー好きの友達が、あまりにも楽しそうに試合見てるから、

ワールドカップを機会にサッカーを見てみようと思った。

その前にルール勉強しないとな。ネットであっちこっち初心者向けの解説サイト検索してみた。

でもやっぱり実戦見ないとわっかんないよね〜

ひとつだけやっと覚えた。「オウンゴール」間違って自分のとこのゴールにボールを入れちゃうことを言うんですってね。

ニュースで「オウンゴールで失点」って言葉が理解できた時はちょっとうれしかった♪

もちろん、今日の日本vsオーストラリア戦は見ます!!! 



6月11日



岩井志麻子 「べっぴんぢごく」を読む。

岡山の旧家 竹井家に引き取られた乞食の娘シヲは、この世のものとも思えぬほどの美女。

シヲが持って生まれたすさまじい因縁は、その後竹井家に生まれる女たちを「絢爛たる闇」へと陥れていく。

シヲ以降、代々竹井家には美女と醜女(しこめ)が交互に生まれる。

絶世の美女シヲが産んだのは、似ても似つかぬ「ひきがえる」とあだ名された「ふみ枝」

ふみ枝が半ば捨て鉢になって、村を徘徊していた美男子の乞食とむつみ合って生まれたのは

妖艶な美しさを持つ「小夜子」

しかし小夜子が音楽教師との間に 小学校卒業と共に産んだのは、もう人とはいえない形状の

それでも「冬子」と名付けられて、世間からは隠匿されて密やかに育つ。

人の形をなさぬ娘が、それでも男にふれられると気持ちよさげに身をよじるという。それは女として生まれた

因果なのか。

冬子が産み落とした美女「未央子」 未央子の娘で醜女の亜矢。

亜矢はこの因縁を自分の代で断ち切ろうとする。

女として生まれながら心は男 性同一性障害の「菜音」と愛し合うことで、竹井家の因縁は断ち切れるはずだった。

ところが・・・・・

と、ここで「実は・・・」って真実があきらかになって、竹井家の因縁はこれからも続いていく ってことになるんだけど

なかなか面白かった。

岡山の分限者(お金持ち)の家には昔玄関先に「乞食隠れ(ほいとがくれ)」という板がしつらえてあって、

乞食はその板にもたれかかってほどこしを受ける。そこからは絶対中には入れなかったんだそうで

この「乞食隠れ」が物語のキーワードになって出てくる。

美貌と性(SEX)が業のようにつきまとう。

すべてを見透かすように、超然と生きるシヲが104才という長寿で天寿をまっとうするところで物語は終わる。

なかなか面白い話ではあるんだけど、人物が入り組んでて、読んでるうちに誰が誰かわかんなくなるのね。

あとはもっともっと因果を背負って生まれた女の哀しみみたいなのが前面に出てくると

インパクトあるのになぁ、ちょっと残念。

たとえば、美女に生まれた娘に対する そうじゃなかった娘の嫉妬心とかさ。

それこそ「ぢごく」だと思うが・・・

ちなみに岡山では「乞食」を「ほいと」と言うのね。

山形でも「ほいど」と呼ぶ。とはいえ、今じゃ「ほいど」なんていないよね。

6月9日

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<教育実習>「母校実習」原則禁止に 中教審専門家グループ
(毎日新聞 - 06月08日 21:40)

中央教育審議会の専門家グループ(代表者・山極隆玉川大教授)は8日、教員免許を取得する際に
必要な教育実習で評価が甘くなりがちな「母校実習」を原則として禁止することなどを求める
報告を中教審教員養成部会に行った。同部会が今夏にもまとめる答申に反映される見通しだ。

教員免許法施行規則では、教職課程の科目として小中学校で4週間以上、高校で2週間以上の
教育実習が義務付けられている。一般大学・学部の学生の場合、
出身校で教育実習を行う「母校実習」が中心的だが、報告では「評価の客観性等の点で課題があることから、
できるだけ避けることが適当」として、基本的に大学と同じ都道府県内の学校での実習を
提言した。教員養成大学・学部の場合は付属学校での実習を原則とした。【長尾真輔】


へぇ〜そうなの?
母校に行けなかったらどこに行けばいいの?自分で捜すのかな。それとも学校が斡旋してくれるのかな(笑)

いずれにしても、これから教員目指して実習に行こうと思ったら大変だってことかぁ。

そんなこと考えてたら、そーいえばわたしの教員免許ってどこにあったかな と思い出して

卒業以来見たこともなかった免許を探してみることにした。

探すこと数分。なんてことない卒業証書の間にすぽんとはさまってた。



中学校国語教諭二級なんて、たいしたもんじゃない。免許取ったってだけで教職にもついてないんだから

紙くず同然なんだけど、捨てるわけにもいかない。

これって何年か教職につかないでいると効力失うんでしたっけかね?

こんなふうに画像アップすると、笑われるほど なーーんにも役にたってない紙切れなんだけど、

フツーあんまりお目にかかれないでしょ?教員免許(笑)

二級だからこんなヒョーショージョーみたいな紙なのか、一級なら(一級っていうのか?)もっと立派な形態なのか

一級お持ちの方がいらしたらご報告ください。

ちなみに、わたしは2週間教育実習に行きました。

中学2年生担当で、ひのえうま生まれの学年だったのでその学年だけ他の学年よりぐっと生徒数が少なかった。

ちなみに職場の上司がひのえうまだと聞いて爆笑した(笑)

教えた授業は「現代短歌」

授業中生徒から「せんせ〜漢字の書き順が違います」って言われた時は、穴があったら埋めたくなった(笑)

でもみんないい子たちだった。

我が人生、後にも先にもあんなに勉強した2週間は無い。

人にものを教えることの恐怖を体験。だからわたしは絶対教師には向いてないし、なれないと確信した。

だからわたしの教員免許は紙切れのまま押し入れの中で眠っている。


6月8日
今日は6年生の陸上記録会

実はおととい、「総合」の授業で 自転車で「にこにこパーク」とかなんとかいうところに 行った息子。

帰り道思いっきり自転車で転んで、すり傷だらけに なって帰ってきた。

担任まで「わたしがついていながら申し訳ないです」 とか謝りにきてくれて、「いやぁ〜そんな たいしたこと

ないですからぁ」ってこっちまで恐縮しちゃってたところ なんだけど・・・(;^_^A

あっちこっち傷だらけ。でかい絆創膏べたべた貼っての記録会出場。 内心「でない」って言うかな・・・と思ってたけど

「もう痛くないから出る。」 と、元気に(?)登校していった。

こいつのすごいとこは、そこだ。

前の学年リレーの時「お前のせいで負ける」だの「足が遅い」だの、くそみそ言われても、一度も「出たくない」と

行ったことがなかった。本番の時は全力で走ってた。 親のわたしのほうが、「なんだか見に行きたくないなぁ・・」

なんて思って、実際は見に行ったんだけど、 全力で走ってる息子の姿を見て、自分が恥ずかしかった。

こいつって意外と強いって思った。

わたしならなんとか理由つけて、休んでいただろう。

で、今日学校から帰ってきた息子は 「いいニュースがあるよ、今日ね、5位だった!

ななろく人(それを言うならろくしちにんだろ・・・・・)で 走って5位だったんだよ!」

「そーかーーーーそりゃよかった!すごい!がんばったなぁ!」

5位で狂喜乱舞している母子ってどーよ(笑)

でも、うちの場合はビリじゃなかったってことだけで 総合1位になったと同じくらいの快挙なのだ。

よくもまあ ケガしたばっかしで 走ったなぁ

母は敢闘賞を贈る!




6月7日

この前 朝歯を磨こうとして間違って娘の歯ブラシを口に入れてしまった。

たしかにピンク系で似てはいるんだけど、模様が違うから間違えるはずもないのに

やっぱり朝は脳みそが活動してないのかなぁ・・・

結構潔癖性の娘なので、この話はナイショナイショ。。。。

と思っていたらその日の夜

「あのさぁ 今朝さぁ 間違ってママの歯ブラシで歯 磨いちゃった うははははは」と、娘。

つーかさー、なんで同じ日に同じことするかな(;^_^A

「おや奇遇だね、実はママもお前の歯ブラシで歯 磨いちゃった うはははは」

「すげ〜それってなんかすごいよねぇ。」

「これって遺伝?」

以前 ふと「PTAのPはParents Tは Teacher じゃAはなんだっけ・・・」と思った。(心の中で)

すると数時間後娘に「ねーPTAのAってなんだ?」って聞かれてぎょっとしたことがある。

以心伝心ってあるんでしょうか。

こんなこと考えてると 前に「パラサイト・イヴ」って小説に出てきた「ミトコンドリアDNA」の話を

思い出す。人間の体の中にある細胞の さらに核の中にあるDNAは、通常両親から子供に伝わるんだけど

ミトコンドリアDNAってやつだけは母親から娘にのみ伝わるんだそうだ。

曾祖母から祖母へ 祖母から母へ 母から娘へ。

息子からは決して伝わっていかないDNAなんですって。

だから女のミトコンドリアDNAをずーーっとたどっていくとアフリカに住んでいたひとりの女性にまでたどりつく。

彼女が現代人の祖先 すべての人類の母なんだそうで、「ミトコンドリア・イヴ」と呼ばれている(んですって)

そう考えるとやっぱりわたしの祖母から母に、母からわたしに、わたしから娘に伝わってるものが

たしかにあるわけで、そういう目に見えないつながりってのは 似たような行動パターンとか

似たような思考回路にもつながっていくのかなぁ なんて思って、なんだか不思議なような

気持ち悪いような、可笑しいよーな、複雑な心境になるのであった。

6月4日

くさくさしててもしかたないんで〜大好きな女優ヴィヴィアン・リーのDVDを見る。

1940年 プライベートでもヴィヴィアンのパートナーであった往年の名優ローレンス・オリヴィエと

共演した「美女ありき」(くぅ・・・なんて邦題だよ・・・・)

ナポレオンを破った英国の英雄ネルソン提督とレディハミルトンの恋物語。

どっちも結婚してるのね、そーです 思いっきりフリン(笑)



で、道ならぬ恋に身を焦がす2人なわけですが、結局は夫に死別 愛する提督は戦死。

活路を見失い財産も使い果たしたエマ・ハミルトンには、落ちぶれて酒におぼれる

悲惨な末路が・・・・





1948年 トルストイ原作の「アンナ・カレニナ」

ロシアの政治家の妻でなに不自由なく暮らすアンナが青年将校と恋に落ち、これもやっぱり

道ならぬ恋の話。で こっちも結局最愛の息子とも引き離されて、青年将校の心も失い

鉄道自殺してしまう。

前に見た「哀愁」もそうだったけど、



悲劇的な最後が多い彼女の作品。

でも、劇中のヴィヴィアン・リーはとにかく情熱的で魅惑的で可愛らしい。

熱情のおもむくままに、時には残酷に誰かを傷つける。そうしてまでも自らの愛に忠実だ。

わたしが彼女のとりこになったのは中学生の時見た「風と共に去りぬ」



勝ち気でわがままなスカーレット・オハラ

好きな男の心を得るためならどんなことだってする。

人の気持ちを踏みにじるなんてへっちゃら。情熱の赴くままに突き進む。




ものすごく嫌な女なのに この情熱的なヒロインに心を奪われた。

ヴィヴィアン・リーの美貌に魅入られてしまったのだ。



他のどんな絶世の美女もかすんでしまうくらい、彼女の美貌はわたしを魅了する。

勝ち気なのにどこか繊細で、そのために熱情をおさえられない。

強さと脆さの両方を持ち合わせた不思議な魅力。

彼女自身の晩年も、最愛のローレンス・オレビエとも破局し、心を病み

肺結核で孤独な死を迎えたという。

「風と共に去りぬ」を見た直後、少女のわたしの心を魅了したあの女優がもはやこの世にはいないことを

知って愕然とした。

スクリーンというのは不思議なもので、作品の中では美貌のビィビィアンが何度でも甦る。

そしてその美しさは何十年たっても、まったく遜色がない。



6月3日

ああ〜疲れた・・・・・ほんとに疲れた。

言いたいことはすべて言ってきた。

結局すぐに席替えってわけにはいかなかったけど、一ヶ月後にまた席替えをするからとのこと。

まぁね・・・席替えしたからって問題が解決するわけじゃなくて、そもそもクラス全体が学級崩壊状態で

先生もひとりの力ではどうしようもないってことで5月から女の先生が増え ふたりの先生でなんとか

運営してるって感じなんだもん。

今日懇談会でクラスの様子をあらためて聞いて、なんだかものすごいと思った。

先生たちも途方に暮れてる状態。

「どうしてこうなるのかわたしたちにもわからない。」

力で言うことを聞かせようとすると力でかえってくる。

むしろ話して納得させようとすると 1対1ならよく理解しあえるのに、それがグループ(集団)になると

ものすごい反発となって跳ね返ってくるという。

たとえば、今の机の並び方が ディベートするには適しているけれど、普通の算数や国語などの授業をする時には

気持ちが集中できなくて私語が多くなりがたなんで、並び方を変えようと先生が言うと

「なんで!?いままでずっとこの並び方でやってきたんだから、このままでいい!」

と反発する。

「なんで?!どうして並び方かえるのっ?って子供たちが言うから変えられないんです。」

という先生。

それを何回も繰り返すふたりの先生たち。

思い切ってわたしは聞いた。

「子供たちが なんで?!って言うと かえられないんですかね?子供たちが納得しないと先生の言うとおりには

ならないんですか?それで先生は引き下がっちゃうんですか?先生が『このほうがいい』って思ったら

有無を言わせず並び替えさせちゃだめなんですか?」

「ところが、できないんです。他の子供たちとはなんだか違うんです。」

先生がいくら「こうしよう」って言っても、子供たちが徒党を組んで「いやだ!いやだ!いやだ!」と

ものすごいシュプレヒコールあげて抗議するんだって・・・・

だから言うとおりにはできないと。

すべて、一時が万事この調子なんだと。

幼いんだろうか という話になった。

すべて自分の思うようにことを進めたい、思ったことは相手が傷つこうがなにしようが口に出して言わないと

すまない。小さい子供同然だと。

そんな中で毎日を過ごす息子、そしてクラスの子供たち。

これはやっぱり息子だけの問題じゃなかった。

「息子さんに関しては ほんとにわたしたち教師が一生懸命心にかけて、安心して学校生活を過ごせるように

していきますので。」

この言葉を信じていいのかどうかはまだ半信半疑だ。

先生たちは先生たちなりに一生懸命クラスを立て直そうと努力してくれてる。それは伝わってきた。

子供たちも、このままじゃいけないと思ってはいる様子。

少しずつ ほんとに少しずつ 変わろうとしているんだと先生は言う。

そしてもちろん、息子自身にも 少しずつ前に進んでいってほしいから わたしも共に努力していこうと思う。

それを信じるしかない。

ただやっぱり 他の父兄さんにとっては他人事なのかなぁって思った。

他人事だよね。自分の子供さえ傷つかなきゃそれでいいのよ。

気にかけてくれるのは自分の子供が傷ついたことのある父兄さんだけ。

それは責められないよね、人間ってやっぱりそーゆーもんなんだと思うもん。

ただ最後にこれだけは言ってきた。

「みなさん、もし自分のお子さんがうちの立場だったら、親としてどう感じるかってことだけ

時間のある時にでも考えてみてください。わたしは自分の子供が可愛い。みなさんだって

そうだと思います。そして いじめた側のお母さんだって自分の子供は可愛いと思います。

親ってそういうもんだと思います。」




6月2日
「今日 席替えがあってさ、隣の席がさ・・・・」

昨日の夜 寝る間際になって息子がボソッと言った。

「誰になったの?となり。」

「それがさ・・・・・・K輔君なんだよね。」

なぜ?なぜ?なんでよれにもよってK輔君が隣なのっ!?と、わたしは思わず大きな声を出してしまった。

息子は4月5月と、K輔君にいやってほどいじめ、暴言、嫌がらせを受け続けた。

クラス全体の問題にまで発展し、とにかく大変だった。

そもそもの発端は学年行事のクラス対抗全体リレー。クラスごとにすべての生徒が交代で走って順位を競う。

前はそんなのなかったと記憶してるけど、今年から始まったらしい。

息子は足が遅い。これは母譲りだからしかたないといえばしかたない。練習の時から息子が走るとタイムが

遅くなるから他のクラスに抜かされる。K君はそれが許せなかったらしく、練習が終わるたびに息子に向かって

「お前のせいで負けた」「お前がいるから勝てない」と罵ったという。

それだけじゃおさまらなかった彼は、息子を集中的に攻撃し始めた。

肉体的な暴力、言葉の暴力、仲間はずれ。

いままで元気よく「ただいまー」って帰ってきていた息子が、学校から帰るなりこたつにもぐり込んで出てこない様子を

見た時、わたしはなにかあると思った。

「なにかあったの?喧嘩でもしたか?」

それでも息子は「なんにもないよ、リレーの練習で疲れてるだけだよ。」と答えるばかり。

なにかおかしい、なにかある。でもそれがなんだかわからない。

学校で起きている現実を、親は知るすべがない。

それでも、事態がそんなに深刻だとは思いもせず数日がたった。

息子の元気がなくとなく無くなってから3日ほどたって、担任の教師から電話があった。

「Sくん(息子)の様子どうですか?」

「なんとなく最近元気がないんですけど、なにかあったんですか?」

「Sくん お母さんになにも話してないですか?」
「なにかあったのかって聞いても、リレーの練習で疲れてるからだって言うだけで。」

「そうですか・・・・・」

先生の口から出てきた話は、聞いていて胸が痛くなるようないじめの現実だった。

先生からの電話が切れたあと、息子がやってきて、「あのね、実は話したいことがあるんだ」と言う。

「でもね、あんまりいい話じゃないよ。ママは聞きたくない話かもしれない。」

「お前の話すことに聞きたくない話なんてあるわけないでしょ。いい話も良くない話も全部話してみて。」

息子はなんだか淡々と、人の話をするみたいに、K輔くんにされた暴力・罵詈雑言の数々を話し続けた。

それでも時々目をこすってなにかをがまんするように。

聞いていてわたしも泣きそうになったけど、息子の前じゃ泣いちゃいけないと 我慢した。

わたしは、「ママも先生もお前の味方だから、これからもなにかあったら隠さずに話しなさい」って言うしかなかった。

「こんなことは絶対長くは続かない。」

寝る時 わたしは布団の中で泣いた。涙が出てとまらなかった。悔しくて 悲しくて。

そんなふうにされるほどの、いったいなにをしたっていうんだ。

足が遅いってだけでどうしてここまでされなきゃならない?

すぐその子のところに行ってぶっとばしてやりたいと思った。お前は何様なんだと。

K輔くんの家庭の事情は知っている。最近いろいろ大変なことがあったということも知っている。

3年生の時からクラスではかなり問題をおこしていたこともあとで知った。

彼の心の中には大人では計り知れない大きな重いわだかまりが残っているんだろう。

そのストレスが、弱っちいタイプの息子に向けられていることは容易に推測できた。

だからといって、息子が犠牲にならなきゃならない道理はない。断じてない。

それから 先生をはじめ父兄たち 「このままじゃいけない」と思いながらなかなか口に出せないクラスの子たちが

いったいどうしたらこの状態を改善できるのか話し合った。

息子のいじめに相まって、クラス自体も学級崩壊状態だったのだ。

それでも、クラスリレーが終わってからは、嫌がらせもだいぶおさまって、たまに不愉快な言葉を

投げかけられることはあっても、肉体的な暴力はもう無いということだった。

息子も前みたいにまた元気に帰ってくるようになり、「学校また前みたいに楽しくなったよ!」と笑顔で

話す様子を見て、ほっとしてた。

「これで終わりとは思えない」と感じながらもとりあえずは安堵していた矢先だった。

「席替えで 隣がK輔くんになってさ。いきなり『この貧乏神!』って言われたよ。」

貧乏神だと・・・・・?

「僕んち貧乏じゃないよね?」

「金持ちじゃないけど貧乏でもないよ。普通だよ。」

「あとね、Aくんのことを『疫病神!』って言ったよ、疫病神ってなんだ?」

Aくんは多動性障害を持っている子供だ。団体生活にはちょっと不向きだけど、そのことで以前随分K輔くんに

いじめられ、保健室と教室を行ったりきたりしている。

息子はAくんに対してはまったく偏見もなにもなく、幼稚園の頃から普通になかよく遊んでいる。

もしかしたらそれがK輔くんのカンに障っているのかとも思うことがあるけど、

とにかくK輔君の標的は息子とAくんなのだ。でもAくんは保健室という逃げ場があるけど、息子にはそれがない。

「お前の隣なんかイヤだから誰かかわってくれって言ってた。」

「なにを言うか・・・そりゃこっちの台詞だよねぇ?」

しかも息子と隣になったことがよっぽどいやだったのか、長いものさしで息子の手の甲をいやというほど

ひっぱたいたらしい。ものさしは指の骨にあたってものすごく痛くて保健室で見てもらったけど

なんともなかったという。先生が「なにするんだ!!」と怒ったけど、Kくんは「わざとやったんじゃないもーん

たまたま当たったんだもーん」とうそぶいたそうだ。

「でもね、たまたまじゃないと思うよ。だってKくんちゃんと僕のほう見てものさしでたたいたんだから。」


また始まったのかと思った。

だってそーだよね、猫の目の前にいじめてくださいとおもちゃ差し出したよーなもんじゃないか。

なんでわざわざK君の隣に息子を座らせるようなことするんだ?

「くじびきだからしかたないよ。」と息子は言う。

でも、くじびきならなおさら、こんなことにならないような配慮をするべきじゃないのか?

誰が・・・?学校がだよっ 親がどんなに気をもんでも心配しても 守ってやりたいと思っても

事件は学校で起きているんだ!!

学校側が、教師が なんらかの配慮をしてくれなきゃどうしようもないだろう!?

今朝 「あーあ、また今日もK輔くんになにかされるのかなぁ・・・」と言い残して登校した。

わかるか?わかるか?自分の息子がなにかされるとわかっていながら「いってらっしゃい」と

おくりだしてやらなきゃならない親の気持ちが。

「いいか?もしまたなにかやられたら、先生に席をかえてくださいって言いなさい。必ず言いなさい。

土曜に授業参観とクラス懇談会があるから、その時わたしからも席を代えてもらうように言うから。」

自分に危害がおよぶとわかっていたら、席替えを要求したっていいでしょ?

それがたとえ小学校でも、小学生だって自分の身を守るためなら当然の権利でしょ?

席を替えてもらうことが問題の解決につながるとは思えない。

でも他になにか手だてがあるのか?わたしにはわからない。

明日の懇談会ではおそらくいつものようにクラスの現状についての話し合いになると思われる。

これは息子ひとりの問題ではないはずだ。

いいのか?このままで。

わたしはさらなる爆弾を投げるつもりでいる。

みんな自分の子供がいじめの対象にならなきゃそれでいいと思っている。

それは否定はしない。だってもしかしたらわたしだって対象が息子じゃなかったら知らぬ顔をしていたかも

しれない。人間は弱い生き物だ。事なかれ主義 災いが自分たちにさえふりかかってこなければ良し

「僕がなにかされてても、みんな誰もなんにも言わないんだ。」

という息子に「人間ってそーゆーもんだよ・・・とめに入って自分までなにかされたら怖いんだろう。」

「そーだよね、僕もそう思う。」

人間ってそういうもんだと そんな言葉で納得させなくちゃならないこの情けなさ。

それでも、ふりかかった火の粉はなんとしても払わなければなにない。どんな手段を使ってもだ。

時には愚かな母にもならなきゃいけない。

わたしが守らなければいったい誰が息子を守ってくれるんだ。

明日授業参観に行って Kくんの顔を見るとおそらくぶっとばしてやりたくなると思う。

家庭の事情なんてくそくらえ、だ。

わたしは自分の息子が一番可愛い。息子をいじめるやつがいたら、ぶっ殺してやる。

マジでぶっ殺してやる。

明日の夕刊に載ったらよろしくな。

誰かにいじめていただくために子供を通わせてるわけじゃない。(あたりまえだ)

死ぬ思いで産んで泣き笑いしながら育ててきた子供を、赤の他人が肉体的にも精神的にも

傷つけるとはなんだ。なんの権利があるんだ。

お前は何様だ。

なにがつらい?先生にも親にも心を開かず 他者を傷つけて自分の中の

どろどろしたものを解消しようとする。なにがつらい?なにが痛い?

お前を救うものはいったいどこにあるんだ。

他者を傷つけることでしかそれは解消できないものなのか?

そしてその彼の背負う 実態もわからぬ荷物を なぜうちの息子が受け止めなきゃならない?

わたしは許さない。

これ以上息子が傷つけられることは許さない。




6月1日

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「おしゃぶりであご変形」 母子がコンビに賠償提訴

おしゃぶりを3歳まで使い続け、あごが変形するなど深刻な障害が残ったとして、横浜市の少女(6つ)と母親が31日、

おしゃぶりを販売した大手ベビー用品会社コンビ(東京)に約1000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

訴状によると、おしゃぶりはドイツのメーカーが開発し、コンビが輸入した。少女は生後2カ月ごろから1歳まで1日約15時間使用。

その後も3歳10カ月で歯科医に止めるよう言われるまで、就寝中に使った結果、あごが変形したほか、歯並びが悪くなった。

歯並びは矯正治療で改善したが、「受け口」や舌足らずな発音、口でしか呼吸しないなどの症状が残ったという。

完全に治すには、今後13年間かかるとして、治療費などに相当する賠償を求めた。

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1日15時間おしゃぶり使い続け ってのは、使いすぎじゃないですかね。。。。

普通に使ってたら変形まではしないでしょう。

使ったから変形したんじゃなくて、変形するまで使った(使わせた)ってことでしょう?

実はわたしも親におしゃぶりカマされた子供です。

親が店やってるとなかなか幼児にかまってあげる時間が少なくて、なにかあるとおしゃぶりくわえさせれば

おさまりがついたんじゃないでしょうか。

だから3才くらいまでおしゃぶりは離せなかったと聞いている。

おしゃぶりがいいか悪いかはわからないけど、要は使う側の心構えだと思うんだよね。

だいたいさ、おしゃぶりなんて使わなけりゃ使わないでも子供育つわけだし、親の勝手で1日15時間もおしゃぶりくわえさせといて

いまさらあごが・・・・って言われても  ねぇ・・・・

それにしてもこのお母さん よく訴えたな 拙者感服つかまつった。(皮肉ね、皮肉(笑))