4月30日
◎女湯のぞいて逃げ川で水死=追い掛けられ、橋から飛び降り−茨城
                 (時事通信社 - 04月30日 02:10)
29日午後6時半ごろ、茨城県土浦市真鍋新町の公衆浴場「湯楽の里」土浦店の

敷地内で、男が高さ約4メートルのタンク上から女湯をのぞいているのを、

浴場の従業員が発見した。男は追い掛けられて逃げ、約300メートル離れた

新川の親天橋から約3.5メートル下の川に飛び込んだ。約30分後、

消防隊員に引き揚げられたが、間もなく死亡が確認された。水死とみられる。

県警土浦署の調べによると、男は10代後半から20代半ばで、身長約170センチ。

髪は茶色で長く、黒色のシャツとズボン、茶色のベストを着ていたという。同署で身元を調べる。 

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なんともやるせないといいますか・・・・・どんな死に様も本人や家族にとっちゃーやるせないけど

女風呂のぞいて追いかけられて水死ってのもなんだか究極のやるせなさを感じるね。

恥ずかしいのと「う、ヤベ。。。」ってのとこのまま捕まっちゃったら最悪って意識が、

彼を川に飛び込むって行為に走らせたのか。

わたしが子供の頃通学路にたこやき屋があって、当時のたこやきってのは

今みたいにパックに入ってるんじゃなくて串にまんまるのたこやきが三つ だんご3兄弟のごとく

突き刺さってるタイプだった。

もちろん買い食いは禁止だったんだけど、同学年の男子がたこやき買って さぁ食べようって時に

同級生の子から見つかっちゃって「あ!たこやき買い食いしてるーーーっ」って声と共に

猛ダッシュして逃げてっちゃった。

まだひと口も食べてないたこやきをぜーんぶ落っことして。。。。

(あ〜あ せっかく買ったたこやき なにも落っことしてくことないのに)

と、思った記憶はいまでも鮮明に残っている。

のぞき見つかって川に飛び込んで水死しちゃったニュース聞いて

「たこやき事件」を思い出したわたしって(;^_^

おっことしたのが命じゃなくてたこやきだからよかったわけなんだけど。 


4月28日
前から欲しかった「スター誕生」のCDをネットで入手。


1976年封切りだから当時わたしは16才。

映画館でこれ見てものすごいショックを受けた。映画の内容にじゃなくて音楽になんだけど・・・

ジュディ・ガーランド主演の往年のミュージカル映画を、ロックミュージカルとしてリメイクしたんだけど、

歌手志望で場末のクラブで歌ってる女性エスター・ホフマン(バーブラ・ストライサンド)の歌唱力にひかれて

彼女を売り出そうとする人気ロックシンガー ジョン・ノーマン・ハワード(クリス・クリストファーソン)

その課程でふたりは恋に落ち結婚。そしてエスターもその抜群の歌声でスターにのしあがっていくんだけど

逆に夫であるジョンの人気はしだいに凋落していくのね。

そしてエスターへの愛と自分のプライドのはざまでもがき苦しんだジョンはついには自らの命を絶ってしまう。

ってストーリーなんだけど、映画の出来そのものはそうたいしたことはない(気がする)

なのに、たった一度だけ見た映画のさまざまなシーンを記憶してるんだな、なぜか。

おそらくこの映画の各所に流れる音楽と結びついて記憶しちゃったからだろう。

この時買ったLPレコードは もー何回もすり切れるほど聴いた。

場末のクラブでエスターが歌う「クイーン・ビー」「Everything」

ジョンとエスターが初めて彼の自宅でふたりで歌う「Lost Inside Of Tou(愛に迷って)」

それから今でもラジオなんかで流れることの多い名曲「スター誕生 愛のテーマ」

どの曲も素晴らしいんだな。

特に好きなのは、ジョンのコンサートで 無理矢理ステージにひっぱりあげられたエスターが、

突然無名の女が登場してきたせいで観客からブーイングされながら歌う「The Woman In The Moon(月に住む女)」

最初はブーイングしていた観客も彼女の素晴らしい歌声に魅了され 最後にはものすごい大歓声を贈る。

この曲には思い出があって、高校の放送部だったその頃 学園祭で恒例の「ステレオコンサート」で

この曲を演目に入れた。「スター誕生」といえば「愛のテーマ」が有名で、「月に住む女」はその映画を見た人にしか

わからない非常にマイナーな曲だった。それでもわたしはどうしてもこの曲をメニューに入れたかった。

結果は大成功。アンケートの「一番感動した曲」として「月に住む女」は大評判。
すごくうれしかった。

月日は流れ、レコードからCDの時代になり あんなに聴いていたレコードも聴く機会が無くなってしまっていた。

なにげに見ていたネットで、「スター誕生」のサントラCDがあることを知った。

うれしかった〜


バーブラ・ストライサンドって歌がうまいのに なんとなくいまいちちゃんとした評価がされてないような気がするのね。

しかも2000年に現役引退しちゃってるし。

わたしは好きなんだよね、あの ぐぁ〜っとひっぱりあげるような歌い方(うまい表現が見つからない)


「スター誕生」に戻るけど、映画の最後に 亡くなった夫ジョンへの追悼で歌う「フィナーレ もうひと目、あなたに」

これはバーブラ・ストライサンド 渾身の歌声だなって思う。

亡き夫への限りなく深い愛と、失った哀しみ。それでも歌い続けていく底力を見せつける。

哀しげ か細く頼りなく始まり、しだいに悲しみをたたきつけるように全身全霊を込めて歌いこんでいき

アップテンポで終わる、そして観客の大歓声にフェードインしてくる「愛のテーマ」


ただ、このCDにはボーナストラックとして「愛のテーマ スペイン語バージョン」が入ってるんだけど

これって悪いけどボーナスでもなんでもないし〜(笑)

これはバーブラ本人が歌ってる・・・・んだよねぇ??

なんで他国語で歌うと声が違ってきこえるんだろう。

この前ボビー・コールドウェルのCD聴いた時、彼が日本語で「上を向いて歩こう」を歌ってたんだけど

これもなんだか違うオヤジが歌ってる感じがして妙だった。

他国語だと感情がこもらないからかな。。。。

言葉って大切なのね〜といまさらながら思う。



4月27日
どーもいまひとつ体調がよくない。

昨日から耳鳴りがして うるせ〜うるせ〜 こう騒々しい時は耳鳴りに負けないくらい音楽をがんがん聴くとか

おっかねー映画見て気を紛らわすか、本とか読んでそっちに集中して耳鳴り忘れるかしかありません。

で、DVD返しに「TSUTAYA」に行ったついでに、娘から漫画の「ドラゴン桜」買ってきてくれと頼まれたのを思い出し

1巻と2巻だけ購入。面白そうなので読んでみた。



これ!おもしろい!!

破産寸前で、どーしようもないおちこぼれの生徒が集まる龍山高校に破産管財人としてやってきた元暴走族の

弁護士桜木が、毎年100人以上の東大合格者を出す日本一のエリート進学校に生まれ変わらせたほうが

自分の名前があがると考え、落ちこぼれの小学校低学年レベルの学習能力しかない生徒たちを集めて

特進クラスを作る。

「社会のルールはすべて頭のいいやつが作っている。そのルールは頭のいやつの都合のいいように作られている。」

「賢いやつらはだまされずに得して勝つ、バカはだまされて損して負ける だまされたくなかったらお前ら 勉強しろ」

極論だ。でも絵に描いたような理想論がなんの役にも立たなくなった現代、もはやこの時代を乗り切るには極論を

信じなければ痛い目にあうのも事実かもしれない。

東大に入れたらそれでいいのか?って疑問もある。でも実際問題 東大出身ってだけでもう人生の

勝ち組(あーやだやだこの言葉)を約束されちゃう現状じゃない?

東大うんぬんはまあいいとして、勉強嫌いな落ちこぼれ生徒が、しだいに問題を解くことの達成感とか

知らなかったことを知る満足感とか、そういうのに目覚めていく課程が興味深い。

勉強のコツは目からウロコ。

こんな漫画がわたしの学生時代にもあったら、机上の空論じゃなく、極論でもいいから実践で役に立つやり方や

考え方を教えてくれる人がいたら・・・・・いや、それでもやっぱりわたしは勉強しなかったろう(笑)

「素のままの自分からオリジナルが生み出せると思ったら大間違いだ。創造するってことはまず真似ることから

はじまるんだ」  『ドラゴン桜』第2巻より

社会学者の上野千鶴子氏も『オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない』と書いてたけど、

まったくもってそのとおりだと思う。

ここしばらく漫画から離れてた。こんなに漫画に集中したのは何年ぶりだろう。

耳鳴りも忘れて読みふける。

4月23日
昨日は定例おおもりライブ。

金曜からどーも喉の調子が悪くて・・・というのは職場の飲み会が某焼き肉屋さんであって

わたしは車なんでアルコール抜きで焼き肉三昧だったんだけど、その煙のものすごさといったら もぉ〜

そこで喉をやられてしまって、よせばいいのに二次会のカラオケボックスにまでご同行してしまったものだから

喉 痛めるのはあたり前田のクラッカー(古い!)

で、もう声はガラガラ通り越して森進一状態。これじゃー歌えないよなぁ。。。

それでも先月はいろいろあって参加できなくて二ヶ月ぶりとなる定例ライブ。なにがなんでも参加したかったのです。

各自の都合で大幅に遅れて参加になったわたしたちユニットでしたが、みんな絶不調だったのもものともせず

なんとか5曲 演奏することができた。

きっかり10時でお開きとなり、青くりちゃんとくどちゃんと夜食をとりにガスト直行。

ほっとしたせいかお腹がすいてしまった。

そこでも話になったんだが、あの店が開店してからもう27年にもなるのにいまだに健在なのは

無理せず、マスターのやりたいようにマスターのやり方で続けてきたからだろうね、と。

それは、どんなに盛り上がっていても夜10時になったら店を閉めることだったり、楽器や椅子は

いつもきっちり決まった場所に置くことだったり、メニューはマスターが自分で作れる最小限のものだけだったり

(でも んまいんだな、これが)

そういう小さいさまざまなことの積み重なりが、あの店の歴史であり未来なんだ。

次々といろんな店ができては、あっというまに消えていく。

なにかを長い間維持することがとても難しい時代だ。

「笑点」の司会者が円楽さんから歌丸さんに変わったけど、あの番組ももう40年ですって。

誰かが言ってた。「長く続かせようとするなら、なにも変えないことだ」と。

なにひとつ変えずにやっていくことが長く続くコツなんだと。

たしかに「笑点」はわたしが小学生の頃からあのテーマ曲で、コンテンツもまったくといっていいほど変わってない。

そういわれてみると、おおもりに集まってくる人たちはなんとなくみんな「変わらなかった人」のような

気がする。ギターを背中に背負って自転車こいで登校していた高校生から、なにひとつ変わらなかった人たち。

だから続いている。

そしてこれからも変わらない人たち。



4月20日
今日は青くりちゃんちでライブ用の楽曲の練習。

午後からかなと思ってたら午前10時にはくどちゃんが青くりちゃんちに来るってことだったんで

ダッシュで家事を終わらせて向かう。

朝は晴れてたのにしだいに雲行きが怪しくなって、雨が降り出した。

今日の練習のために昨日から仕事を調整したというくどちゃんと3人で「新曲」合わせしてみるも

な〜んか・・・・・気が乗らない。みなはん テンション低い低い(笑)

ちょっと練習しては「一服するべ」

そーこーするうちにお昼。青くりちゃんがランチを作ってくれる。

ビストロ青くりの 「きのことほたてのトマトパスタ」は絶品!!

青くりちゃん あんた店出せるってばさ マジで♪





食ってる時はみんなテンション高いのに 食い終わるとふたたびテンション下がるのは なじぇなんだ?

お腹もいっぱいになったし、いい加減眠くなってきたわたしは、くどちゃんの心地よいギターの音色を

子守歌にして深い眠りの底に落ちていったのであります。。。。ZZZZZzzzz

そこへお友達のひとみちゃん乱入。

「まぁ聴いていきなさい」 と 強制的に観客にして練習再開。

観客がひとりでもいると違うのかな。なんかいきなりテンションあがりはじめて

やっと「音」になってきた♪

午前10時からはじめて終わったのが午後4時(笑)

実質練習したのは1時間??

でもさ、こういうだらだらした時間も大切なのよ!きっとそーよ、そーに違いない!



4月19日
桜の開花宣言も出たことだし、

プランターに花を植えることにした。

というのも 花好きの母が最近腰痛で花の手入れがしんどくなってきたので、縁側に放置してあるプランターやら

花の土やら肥料やらが大量に出てきたのだ。

以前にも何度かガーデニングってものに挑戦してきたんだが、どーもうまくいかない。

一生懸命手入れしても枯らしてしまうんだな。これを「炎の指」とか言うらしい(笑)

母はどっかから拾ってきた芽だか茎だかを 鉢に挿し木してちゃんと育てる人で、これは植物にかけるハートの差

なんですかねぇ。。。

3年くらい前に、当時住んでいた家の畑の隅に花を植えて わたしだけの花園を作ろうと試みたことがある。

植えてひと月でぜーーんぶ根こそぎひっこぬかれちゃったってことがあって。あれ以来もう二度と花は植えないって

思ってたんだけど、今度は大丈夫だろう(笑)

  ヴィオラ 3種類寄せてみた。








ピンクマーガレット かな?
















うまく育つといいなぁ
4月18日



「悪魔の棲む家」を見る。

去年リメイクされたけど、これは1979年版。

1年前に長男による一家惨殺事件が起きたばっかしの家を

買うか?ふつーー

しかも1974年に実際にあった話だっていうじゃない。

あんな気色悪い家に なんか変だとわかっていながら20日間も住んでる感覚のほうが怖いと思う。(キッパリ)

子連れで再婚した夫婦の奥さんのほうが、どっかで見た顔だと思ったら、「スーパーマン」のロイス・レインやった

マーゴット・キダーだった。



わたしはこの女優って結構好きだったんだけどな。なんか可愛らしくて鼻っ柱が強そうで。

でも実際の彼女は妄想症で、旦那にレイプされて殺されると逃げ回って精神病院に入院したり、自殺未遂おこしたり

かなり悲惨な人生を送ってるらしい。

夫役のジェームス・ブローリンってのもわたしには懐かしい名前だ。

クラーク・ゲーブルとキャロル・ロンバートの悲恋を描いた「面影」って、大作じゃないけど哀しげで好きだったなぁ。

クラーク・ゲーブル役がジェームス・ブローリンでさ、それがめっちゃ似てて〜

奥さんのキャロル・ロンバート役がジル・クレイバークでさ、飛行機事故でキャロル・ロンバートが死んでしまうんだよね。

って、「悪魔」から大幅に話がそれちゃった(笑)

結局悪魔の正体はなんだったのかよくわかんないまま、それよりもわたしといたしましては子連れ再婚で継父であるジョージが、

ほんとはいい人なのに悪魔の影響受けて一時は態度がおかしくなっちゃって、妻の連れ子につめたくあたったりしてたのをさ、

最後に家を逃げ出す時に、子供たちの大切にしていた愛犬のハリーを、命の危険もかえりみずに地下室から

助け出すってことで、かろうじてジョージの父権は復活したようにみえてて、それでも子供心にあの不可思議な変貌ぶりは

トラウマになんないのかなーと。。。それだけが心配なのでございました。


4月17日
ワンのももの容態が気になったからきいなちゃんに電話してみる。

「おかげさまで元気 元気」って返事にほっとする。

やっぱ あんなにがっちり抱いて病院連れてったから、飼ってるのはわたしじゃないのに情がわくといいますか。

あの翌日 再度ももを連れて病院に行くと、例のペットショップの社長が瀕死のワンコをひきとりにきてたそうな。

もう手のほどこしようがなくて、ほとんど意識もなくぐったりしたワンを、社長はスーパーの袋に入れ、段ボール箱に詰めて

黒塗りの高級車の後ろに乗せて帰っていったと。

ペットショップにとってワンやニャンは商品でしかないんだろうから、商品価値のなくなった生き物は処分されるんだろう。



4月16日
パソコンテレビ ギャオで「大魔神」見る。

これ映画館で初めて見たのは幼稚園の頃だったかなぁ。

ものすごく怖かった!いまだかつて あんなに怖いと思って映画見たことがないくらい幼心にあの

大魔神が怖かった。

いまは無き「大映」の時代劇で、極悪非道の冷酷な領主に虐げられる領民たちって構図で

汚れ無き乙女だとか子供たちの祈りによって復活した大魔神が、悪い領主をこらしめるって話。

「大魔神」の他にも「大魔神 怒る」「大魔神の逆襲」と、大魔神三部作があるんだけど、どれも内容は

似通ってる。

大魔神を知らない人のために説明すると、でかくて怖いハニワってとこでしょうか。

それが なにが怖いって 片腕を顔の前でおもむろに振ると、それまでハニワだった顔がいきなり こえ〜顔に変わっちゃうの。

これって小学校では男子がよくまねしてたなぁ。

でもって、ズシーーーーーーン  ズシーーーーーン って最重量感いっぱいの足音と共に

悪代官をどこまでもどこまでも追いかけてくるんだ。



どこに逃げても、大魔神はどこまでもどこまでも ズシーーン  ズシーーーン って追っかけてきて、最後は

非常に残酷な形で悪人を死においやるのでございます。。。。

ありゃ怖かったなぁ・・・・

あれを見て ああ 悪いことするとバチがあたってむごい死に方するんだなと思った。

親が悲しい思いをするからとか、人様に迷惑がかかるとか そんな気持ちはさらさらなくて、ただ大魔神のたたりが怖くて

悪いことは絶対しまいと思った。

これは是非どこかでリメイクして欲しいね。




4月13日


お友達のきいなちゃんとランチバイキングに行く予定が、ワンの調子が悪いので心配で留守にできないという。

そこでわたしが彼女の家に出向くことにした。

ワンの種類はミニチュア  えっと・・・なんていいましたっけ?

ペットショップでうん万円したそーです!

名前は「もも」ちゃん

毛が短くてちっこくて、おもちゃみたいに可愛い。

でも飼って数日で下痢をして、その後もお腹の調子がいまいちでしかもへんな咳もするようになったという。

病院に連れていきたいから抱っこしててくれと頼まれて、タオルでくるんだももちゃんを抱っこ。

きいなちゃんの車に乗る。


ももちゃん

「ひぇ〜」

その感触に思わず声が出る。ワンは決して嫌いじゃないんだけど、こんなにがっつりと抱っこしたことって

ないんです〜〜  ももちゃんは抱かれ心地が悪いのか 身をよじってわたしの手を噛む、顔を舐める

服に食いつく。「ひぇ〜〜」

診察の結果 風邪だってことで注射してもらってかえってきた。

環境が変わるとストレスで体調崩すことはよくあることで、そこに寒暖の差があって風邪ひいたりするんだって。

診察室にいるとどこからともなく「ふぅーーーん・・・ふぅーーーん・・・」って実にせつなげな、苦しそうな鳴き声が聞こえる。

動物病院の初老の院長先生は

「あれはペットショップが連れてきたダックスフントの子犬なんだ」と言う。

ペットショップの若い女の子が連れてきたそうで、餌の与えすぎが原因で死にかけているという。

「ペットショップなんて素人だから、どの子にどれくらい餌をやったかなんてわからなくなって、やたら餌を食べさせる。

動物は餌を食べさせすぎると死んでしまうんだよ。この子はもう手遅れでどうしようもない状態になってしまってる。

もうだめかもしれないよって言ったんだけど、とにかく入院させてくれっていって置いてったんだ。かわいそうに。。。」

子犬は立つ力もなくなって、ガラスの箱にはいってうつぶせになって苦しそうにやっと息をしてる状態だった。

「調子の悪い犬に餌をいつも通りあたえていたらますます悪くなるんだよ。」

「ふぅーーーーん・・・ふぅーーーん・・・」っていう哀しげな声が間断なく響く。

かわいそうになぁ。ほんとに、かわいそうに。。

あとで、そのショップが ももちゃんを購入したペットショップだったってことが判明。

ちょっと・・・・・そのショップ 大丈夫なの???

ももちゃん 早く良くなってくださいね。


4月8日
「キューブ/ゼロ」を見る



「キューブ」「キューブ2」に続く第3弾で、今度はあの謎の立方体を操作する側から描いている。

各部屋に仕掛けられたトラップ(罠)はますますエスカレートしていて、エグイのなんのって。。。

わたしは「キューブ」の 一番最初 突然現れた男が次の部屋に侵入したとたん部屋中に

細いピアノ線みたいなやつが音もなく張り巡らされ、次の瞬間男の体が100分割みたいに

バラバラになるってシーンがすごく衝撃的で、血もでなかったけど残酷で それでいてなんだか美しいと思う。

だから逆に どんなにむごいトラップでも、血が飛び散ろうが肉体がどろどろに溶けようが

もはやあの衝撃を超えられはしない。

しかも今回は操作する側の人間たちや、指令を出す側の者たちが出てくる。

「キューブ」の恐ろしさって いったい誰が なんのために作り どんな理由でそこに人を放り込んだのかが

まったくわからないってとこにあるんでしょ?

だからある程度理由がわかっちゃうと、なんだか妙に安心するっていうか・・・キューブ見て安心して

どーするんだっての(笑)

で、「キューブ/ゼロ」は最初の「キューブ」に続く ってこのことだったのかぁ。。。。

あんまり書くとネタバレしちゃうんで書かないけど、「キューブ」に登場した人物が、「ゼロ」に出てくる。

でも見ただけじゃそれが誰かまったくわからない。

さすがのわたしも、ラストシーン見るまではわかんなかった。

これって後でとってつけたストーリーなんだろうか。それとも最初からこうなることを念頭に置いて

作ってたのかな。

もちろん「キューブ」は超えられないけど、この結末は悪くない。



4月6日
息子が見たがっていた映画「のび太の恐竜」を見に ソラリスへ。

娘も行くっていうんで3人で行った。

ポップコーンとペプシを買って映画見ながら食べるのが大好き♪

ソラリスのポップコーンって塩味がきいてて美味しいんだ〜

子供の頃 市内にたったひとつ残っていた映画館で夏休みに「推薦映画」を見るのが恒例だった。

だいたいが怪獣映画(ゴジラとかガメラとか) その時は決まって飲食禁止。その癖がついてて 高校になって映画見に

行ってもどうしても映画館で飲食ができなかった。それに昔の映画館っておっそろしく汚くてとてもあんな場所で

飲み食いなんてする気にならなかった。

ソラリスは新しくてきれいで完全予約制だからゆったり見れるし、しかもどんな座席もちゃんとスクリーンが見える設計に

なってるから実に快適。

いい時代になったもんだといつも思う。昔の映画館は館内にそこはかとないトイレのにほひが漂い、足下には

ティッシュやら新聞紙やら散らかって、座席はスプリングが曲がってるのかでこぼこしてて座りにくいのなんの。

しかも時々痴漢が出たり。まったくもって劣悪な条件のもと 果敢に映画を見に行ったものだ。

それでも一部には映画館での飲食反対派ってのがいるらしくて、2番館のほうでは飲食禁止だという。

映画に集中したい映画ファンにとって飲食の音は鑑賞の妨げになるんだって。

でもさぁ 映画って娯楽だと思うんだよね。ポップコーン食べながら コーラ飲みながら 座席にぬっぽりと

体をうずめて 泣いたり笑ったり 時には感動して食うのやめて画面に見入ったり、つまんない時は

ぐーぐー寝たり そういうもんじゃないの?

飲食禁止で正座してしゃっちょこばって見ろと強制されるくらいなら、自宅でDVD見たほうがいいや。

誤解されるのを承知で書くけど、映画を芸術にしちゃいけないと思う。

鑑賞するものじゃない、「見る」もんだ。

で、「のび太の恐竜」だけど、

「ピー助ーーーーーーーーーっ、さよーーーならーーーーーーーーっ」なんて台詞にちょっとウルウルきちゃうわたしは

涙腺がちょっと故障ぎみなお年頃なのかしら(笑)

4月3日

葬儀ではわたしは受付頼まれたんで、式そのものにはお焼香の時しか出てなくて、儀式が嫌いなわたしには

ちょうどよかったかも。(笑)

今回は葬儀屋さんににすべておまかせしたので、ずいぶん楽だったかも。

昔は隣組がすべて手伝って 料理作ったり斎場の案内したり すごく大変だった。

11年前に舅が亡くなった時は葬儀屋には頼まなかったんでそれはそれは大変だった。

「遺族はなにもしなくていい、隣組がすべてするから」って言われてたのに、実際は嫁としてあっちこっち

動かなくちゃならなかったし、葬儀が終わると公民館借りて手伝ってくれた町内会の人たちにご苦労ぶりしなきゃ

ならなかったし、当時1才半だった息子を背中にくくりつけ、夜も寝ないで走り回ってた。

あんまり大変すぎて、舅の葬儀周辺の記憶がほとんどありません。(笑)

心身共につらかったから、きっと本能があの頃の記憶を抹殺してしまったのかもね。

それにしても葬儀屋さんの社員ってすごいなって思った。

担当がまだ20代の若い女性だったんだけど、一生懸命いろんな打ち合わせから手配から段取りからやってくれて、

打ち合わせなんて夜遅くまでかかるし、集まってきた親戚連中があっちからこっちからてんでに口出しするし

それをうまくかわしたりこなしたりしながら、きちんと先に進めていく手際の良さには感心したね。

あげくは口の悪い親戚の叔母連中からちょっとした手落ち 段取りの不具合を指摘されたりする。

注文したお供えの花を自宅に飾ってくれと頼んだのに、花屋の手違いでセレモニー会場に飾られてしまって、

「あたしは隣近所の人が来た時に、自分がちゃんと花をお供えしてるって見てもらいたくて飾るのよ!

セレモニーに飾ったって近所の人の目にはとまらないんだから、それなら花なんてあげないわよっ!」って

すげ〜剣幕でさ〜 なにエキサイトしてんのって感じ。あたしゃそんな見栄で生きていたくはないね。

ってゆーかそんなのあらためて自宅に運び直してもらえばすむだけの話でしょ。

実際 担当の女性はすぐ対処してくれて、ものの15分もかからんうちに花を自宅に運び直してくれて、

玄関のいーーーーーっちばん目立つ場所に置いてくれた(笑)

「なにあの若いおねーちゃん!常識知らないんじゃないの?あんなのをひとりで担当させるなんて

うちもバカにされたもんよねっ」って、叔母のみみっちい怒りは延々と続くのである。

わたしから見ればあの若さであれだけの式の段取りをほとんどぬかりなくやってくれたことに感謝するし、

すごいな さすがプロだなってって思う。

だからひととおり終わってその人が帰る時に、玄関先で

「本当にいろいろありがとうございます、とっても気配りが行き届いていて、おかげで心に残るいいお式で

見送ることができました」って言った。そしたら場所が場所だけに笑顔は見せられなかったけど

とてもうれしそうな様子が伝わってきて、ちょっと涙ぐんでいた。

へんに手慣れた感じで事を運ばれるより、たとえ少々の不手際や落ち度があったとしても、

真摯な態度で一生懸命接してくれたほうが、なんだか心にしみる。

あんなに大変な仕事でも、きっと遺族からの感謝の言葉を聞いた時 あの人たちは「この仕事やっててよかった」って

思うんだろうな。


4月2日
4月1日に、叔父の葬儀が無事終わった。

ここ数日 朝から叔父宅で通夜、出棺、火葬、葬儀の準備であわただしかった。

遠方から来て泊まる親戚のために日頃使っていなかった2階の部屋を片付けていると

社会党関係の雑誌が大量に出てきた。

生粋の社会党で、労働組合活動に一生を捧げたような人だった。

時には家庭を二の次にしても、活動を優先することに、わたしの親なんかは否定的な時もあったけど、

「すべての人は平等に、できる限り貧富の差のない世の中に」を夢見ていた。

ロシアがまだ「ソビエト連邦」という名で、いまの北朝鮮みたいな怪しい(笑)国家だった時期に、

労働組合の招待でソ連に行った叔父は、そこでなにを見て なにを学んできたんだろう。

当時のわたしは「生きて帰ってこれんのなか〜そのままなにか口実つけられて拉致されて帰ってこれなくなったら

どーするんだろ」なんて思ってたけど、叔父はおみやげのマトリョーシカと民族衣装っぽいショールを買って

元気に戻ってきた。

彼は彼なりに夢も理想もあったのだろう。家庭の事情で大学進学もできず

東京でやっと就職したのに、当時まだ生きていた曾祖母に「お前は跡取り息子だから」と無理矢理有無を言わせず

連れ戻されたらしい。つきあっていたカノジョもいたって話。

地元に戻った叔父は、表面上はおだやかに淡々と、でもその内に秘めた熱い思いを労働組合活動に

ぶつけたのかな。

あのまま東京に残っていたら。

本当に好きだった人と添い遂げていたら。

仮定の話をしてもまったく意味がないけど、それでも無駄を承知でいろんな思いを巡らせてみる。

通夜の当日、叔父の次女が2番目の子供を出産したという連絡が入った。

千葉に住む次女は、父親の危篤を知りすぐにでも飛んでいくと泣いたという。

臨月の身ではとても帰郷はできず、次女の夫がかわりにかけつけてくれた。

訃報を知ってショックのあまり胎児の心音が聞こえなくなり、予定日まであと少しだったけど緊急帝王切開で

無事女の子を出産。その連絡を聞いてみんな喜び、泣いた。

棺に入る前に生まれてくれてよかった。叔父は5人目の孫が無事生まれるのを一番気がかりにしていたから。

叔父の死に顔が和らいで見えると、長女が言う。

ほんとに叔父の顔はそれまでと違って安らかに、安心したように見えた。

命はつながっている。叔父の命は確かに次の世代にリレーされてまた未来につながっていく。

かなわなかった夢も希望もすべて、新しい命がかなえていくのだと思う。