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「そなたのおもわく通りになったな。、千手・・・・・」
しとねに半身をおこした重衡は言った。
「抱くのではなかった。」
「なぜだ。」
「生きていたくなった。」
重衡は己の両手をじっと見つめた。
「逃げぬか?」
「何を言う。」
「平の名を捨て出奔する気はないか、私と。」
「できぬ。」
答えはわかりきっていた。
誇りだけが生きる支えである若武者に
名を捨てられるはずもない。それは千手にもわかっていた。
「私はお前さまの口から死にとうないという言葉を
聞きたかったのだ。死の恐怖で取り乱す顔が見たかったのだ。」
「私は死にとうない。」
「もういい・・・・」
千手の唇が重衡の首筋に押しつけられた。
「すまぬことをした。」
「そなたが謝る事はない。」
重衡は再び千手の柔らかい体を抱いた。
出立は夕暮れだった。重衡がそう望んだのだ。
「罪人の旅立ちには夕暮れが似おうている。」
木暮山が夕日の照り返しを受け、色づきはじめた紅葉と
相まって燃えるように赤い。
さらさらさやけの秋の夜は・・・・・・
昨夜の千手の今様を思い出す。
千手丸は元の木暮山の盗賊として、森の木の間に立っていた。
隙あらば重衡を助け出すつもりで持ってきた太刀だったが。
(・・・・しかし・・・・・逃げまい。)
森に立つ千手丸に、重衡はいつか見た麝香鹿を思い出していた。
石の如く微動だにしない。
獣でありながら、その体内に馥郁たる香りを潜ませる
美しき麝香鹿。
(千手よ、そなたと共に生きたい。しかし私は平氏だ。)
さざ波のような葉音と燃えるような夕日の中、
麝香の森は暮れなずんでいた。
治承四年 東大寺、兵火により炎上
養和元年 清盛死す
寿永三年 一ノ谷の合戦、重衡捕らわる
同 重衡 斬首
文治元年 壇ノ浦の戦 平家滅びる